縄文時代後期「上野遺跡」の出土焼人骨一般公開および「自然人類学研究所」の展示公開に行ってきました
今年10月29日付けの地元紙の朝刊にあった「縄文後期 村上の上野遺跡 焼けた人骨 あす公開」の見出しに心ひかれ、人骨が一般公開された翌日に、会場となった新潟医療福祉大学へと行ってきました。
新潟医療福祉大学に開かれた「自然人類学研究所」

新潟市北区にある新潟医療福祉大学は、保健・医療・福祉に関する人材養成を目指し、2001年(平成13年)に開学した私立大学です。2022年4月の時点で6学部(13学科)と大学院(1研究科)を擁し、さらに来年度にはリハビリテーション学部に鍼灸健康学科が開設される予定となっています。
そんな新潟医療福祉大学に今年(2022年)春、国内でも珍しい骨を中心とした人類学分野の研究所である「自然人類学研究所」が、理学療法学科の奈良貴史教授を所長として開所しました。
これまでは教授をはじめ研究員たちが個人で遺跡から出土した人骨の鑑定を請け負ってきましたが、これからは研究機関として地方自治体や警察とも連携し、遺跡で出土した人骨の鑑定や法医鑑定を積極的に受託する方針。また同大には人類学や解剖学を専門とする教育者が揃って整った教育環境にあるため、次世代の人材を育成する場ともなり、その存在を県内外にアピールしたいといった考えからの人類学分野の研究所の発足だったようです。

ガイコツさんの案内で入った人骨だらけの自然人類学研究所内は撮影禁止になっていました。
慣れない環境なのでかなりドキドキしながらの入室でしたが、入ってすぐの棚には以前に同地方紙で目にしたことのあった四人の顔が真っすぐこちらを見ていて、これがこの大学で行われたものであったことを初めて知って、何だか急に緊張が解けて肩の力が抜けていった私でした。
蘇った殿様の顔
自然人類学研究所の棚にあったのは、今夏頃に地方紙で見た長岡藩牧野家の復顔模型四体でした。
復顔は奈良教授の専門だそうで、2016年(平成28年)頃から長岡藩牧野家の藩主と正室の生前の顔を再現する研究が進められており、長岡藩主四代
実は今秋、長岡市の科学博物館に大河津分水関連の資料が展示してあるとのことで、展示室がある「さいわいプラザ」という施設にお邪魔した日がありました。さいわいプラザの三階には「長岡藩主牧野家史料館」もあり、そちらも合わせて見学してきたばかりでしたが、展示物の中にはこの日拝顔した長姫さま愛用のかんざしや漆器などもあったことを思い出し、不思議な偶然の重なりに、これも何かのご縁なのかと感じた次第です。
ちなみに、長岡藩主の復顔についてはすでに五代
人骨からの情報収集
さらに自然人類学研究所の奥へと進むと、部屋を囲むようにおびただしい数の骨が陳列されていました。骨は主にヒトの頭骨で、縄文から中世、近世、骨病変など、人類がどのような過程を経て進化して行ったのかが分かるような並びになっていました。
ここでも話題の中心は江戸時代の人の頭骨で、江戸時代の身分階級によって顔面頭蓋形態にどんな違いがみられるのか、岩槻藩主大岡家と旗本永井家の頭骨が何代にもわたって収集され、合わせて家臣や庶民といった人たちの収集頭骨も多数みられました。
先の長岡藩主にも同じことが言えますが、身分の高い貴族階級ほど顔面部が狭くて下顎が細く、眼窩が大きく鼻筋が通って歯の摩耗が少ないのが特徴で、柔らかいものを食べていたのが大きな理由だそうです。武家社会においては石高や家柄が良いほど貴族的な特徴が多くみられ、身分が低いほど庶民的な特徴に近いのだという説明がありました。
村上市「上野遺跡」焼人骨集積土坑説明会
上野遺跡 出土人骨一般公開
- 日時:2022年10月30日(日)10:00~12:00/13:30~15:00
- 場所:新潟医療福祉大学構内 土坑整理所

勝手に自由参観なのかと思って出掛けた「出土人骨一般公開」でしたが、実際に新潟医療福祉大学に着いてみればキチンと受付をし、時間を区切って10名程で土坑整理所の中に入って出土した人骨についての説明を聞くことができるという本格的なものでした。
我が家は昼の12時半過ぎという中途半端な時間に着いてしまったため、受付を済ませて先に自然人類学研究所の一般公開展示を拝見することになりましたが、主催者がどんな研究をされているのかを知ってからの土坑見学になったので、順番としてはこれで良かったのかなと思いました。
午後になって再開された
村上市で発見された上野(かみの)遺跡
新潟県村上市の上野遺跡は、日本海沿岸東北自動車道の一部となる国道7号朝日温海道路の建設に伴って発見されました。遺跡の調査は2017年(平成29年)度から実施されており、本年度は第6回目の調査が行われています。
遺跡は高根川右岸の西から東へ緩やかに下る標高およそ37mの扇状地上にあり、約4,000年前の縄文時代後期前葉の大規模な集落(ムラ)の跡と考えられます。これまでの調査で平地建物75棟、竪穴建物3棟、敷石建物1棟、柱穴4,545基、炉45基、土坑(貯蔵穴や墓穴)114基、埋設土器52基、配石1基、集石18ヶ所、溝64条、焼土123ヶ所などが発見されています。
遺跡は調査区の北側に居住域や廃棄場からなる集落部があり、南側には土石流に覆われた砂礫部が広がっています。2020年(令和2年)度から集落部を中心に調査が行われており、構造の違う建物があまり時間を置くことなく同じ位置に何度も建て替えられたような形跡があること。長軸1.3m、深さ1.2mにも及ぶ大型の柱穴も見つかっていることから、ムラには相当大きな建物が存在していたのではないかと考えられています。
上野遺跡から出土した焼人骨
上野遺跡で最も注目される遺構が「焼人骨集積土坑」であり、縦1.5m横1mという大きさをした一つの土坑から複数人の焼けた人骨が見つかったことです。一つの土坑に他所で焼いた人骨を複数体文ランダムに集積する埋葬法としては、今のところ日本国内では最古クラスのものであり、縄文時代の葬送を知るうえで極めて重要な遺構であると考えられます。
出土人骨の多くは被熱されたと思われる白色のものですが、黒色、灰白色、白色と異なった色合いをしているのも見て取れます。骨の色調変化は焼いた時の温度と時間に関係しており、黒色は500℃前後、灰白色は600℃以上、白色は800℃以上の高温で長時間焼かれたものと思われます。(※参考資料3参照)ちなみに、現代の火葬場では1,000℃前後の高温で焼いているとのことです。
現状での観察において、土坑内の骨は全てヒトのものであること。頭骨から脊柱・四肢にいたるまで全身の骨が確認されていること。また、下顎骨のオトガイ部片が3つ出土していることから、少なくても3個体(部分的だとしても)以上は埋葬されているのではないかということでした。
画像下の説明書きに🔍があるものに関しては、画像をクリックまたはタップすると主だった焼骨に名称が入った拡大画像が表示されます。
Aから見た焼人骨集積土坑|手前側に見える土のくぼみは石積みの跡

頭骨
ヒトの頭蓋冠というは幾つもの骨が組み合わさってできており、骨同士の繋ぎ目(縫合)は年齢が増すとともに徐々にくっ付いて行きます。高齢になる頃には消えてツルツルの一つの頭骨のようになってしまうので、この縫合の癒合状態が人骨の年齢を推定する一つの材料になるそうです。(※参考資料4参照)
集積土坑にあった頭骨を見ると、ギザギザとした骨の繋ぎ目(縫合)を確認することができます。つまり、まだ若い時に亡くなった人だったのではないかと推測できます。

そして🔍で拡大できる写真の名称の中に、黄文字で「輪状の亀裂」と記したところが二箇所あります。このように四肢長骨にできた亀裂というのは、まだ骨が軟部組織に覆われた状態の時に高温で焼かれたケースに見られるもので、亡くなった人を焼いて骨にしたあと土の中に埋葬したといえる理由の一つだそうです。
地方紙の中で奈良教授は「新潟は太平洋側に比べて焼けた人骨が頻繁に発掘されている。何らかの儀礼で火葬した可能性がある。」とコメントされていました。きっとそれをしっかり読んできたのでしょう。参加者の中から「生きたまま焼いたのか?」という質問が出ていましたが、「縄文時代には拷問的なことはしなかったので、亡くなってから焼かれた。」と奈良教授は答えられておられました。
下顎骨の一つに、縄文時代に盛行していた風習である抜歯をしたと思われる痕跡が確認できます。抜歯は成人・結婚・服喪などの儀礼と考えられています。
会場に展示されていた関連資料

参考資料1|縄文時代の出土品
上野遺跡の遺物に関しては、遺物包含層と廃棄場(自然の谷)を中心に(テンバコ換算で)およそ3,500箱を超えて発見されており、今後の調査でさらに増えるものと思われます。
発見された主な遺物としては、大量の土器(深鉢・浅鉢・注口土器)、ハート型土偶、砥石に転用されたと思われる石棒、アクセサリー(赤で彩られた土製の耳飾や垂飾)、石器(石鏃・石斧・石皿・磨石)等。
参考資料2|東京都港区湖雲寺跡遺跡から出土した一人分の人骨の展示資料

参考資料3|縄文時代早期の被熱人骨
おしまいに
上野遺跡の焼人骨集積土坑が原形のこの状態で一般の目に触れるのもこの日が最後。この後は実際に何人分の骨が埋まっているのか(※参考資料2参照)自然人類学研究所においての研究が始まります。一度に埋葬されたのか、はたまた何回かに分けて埋葬されたものなのか、土坑を縦割りにして断面の分析もしてみたいのだと、奈良教授は仰っていました。
ちなみに、自然人類学研究所の中は撮影禁止になっていましたが、説明会が行われた土坑整理所の中は全て撮影OKとのこと。ネット上に撮った写真などを載せても大丈夫ですか?の質問にも、奈良教授からOK!のお返事をいただきましたので、自分の勉強のためにも分からないなりに見学レポートとして記事にまとめてみました。
普段なら気軽に立ち入ることのできない新潟医療福祉大学という存在。ちょっとした興味から出掛けてみたことで、まだ開所して間もない自然人類学研究所を知ることができたこと、新たな研究材料である焼人骨集積土坑に触れられたことは、私にとってはまたとないほどの幸運であったと思います。これを機に、またこういうイベントに参加できたら嬉しいなと思いました。
奈良教授ならびに関係者の皆様、貴重な時間をありがとうございました。(Sunday, October 30, 2022)