大石ダム|岩船郡関川村
9月最後の土曜日のこと、雨上がりに関川村にある大石ダムを訪ねました。

奥羽水害を契機に造られた大石ダム

山形県南部に位置する大朝日岳(標高1,870m)に端を発し、新潟県北部を横断して日本海に注ぐ一級河川・荒川。その支流である大石川に造られた大石ダムは、大石川ならびに荒川下流域の洪水調節と水力発電が目的の、国土交通省北陸地方整備局として初となった多目的ダムです。
荒川流域を襲った奥羽水害

昭和42年(1967年)8月28日、荒川流域をかつてない豪雨が襲いました。新潟県側だけで死者・行方不明者90名(山形側2名)、道路・鉄道などの交通網の途絶、家屋の流出、農作地への土砂堆積など浸水面積は4,907ha(山形側は968ha)、被害総額は445億円ともいわれ(昭和42年当時の貨幣価値でいうと、被害総額は新潟県側約188億円、山形県側約38億円)荒川流域全体が壊滅的な被害を受けた「奥羽水害」が起こりました。
これを契機に、昭和43年4月に荒川は一級河川に指定され、国の管轄事業として河川改修工事が行われたほか、昭和45年には大石ダムの着工が行われています。
【参考】関川村にある渡邊邸の中庭には、奥羽水害当時、140㎝余りの浸水被害にあった旨の案内板が設置されています。
大石ダム堤体

大石ダム(1970年着工|1978年竣工)
- 場所:新潟県岩船郡関川村大字大石地先
- 河川:荒川水系大石川
- 形式:重力式コンクリート
- 規模:堤高 87.0m|堤頂長 243.5m|総貯水容量 22,800,000立方m

243.5mの長さがある天端。歩行のみ通行可能になっています。

堤体中央付近にある予備ゲートの塗替塗装工事が行われている最中でしたが、見学には支障ありませんでした。

右岸側より堤体を望む

計画水位を越える洪水時に用いるクレストゲート。印象的な朱塗りのラジアルゲートが2門。
通常の洪水調節は、クレストゲート直下のダム堤体内に設置されているコンジットゲート1門で行います。(1枚目の写真参照)

クレストゲート越しに見る減勢工

放水しているのは、利水放流管のホロージェットバルブです。

大石ダムの堤高は、18階建ての新潟県庁に匹敵する87m。荒川水系の中では、最も堤高が高いダムです。
発電

堤体から白く伸びているのは発電水圧管です。
ダム湖に溜まった水を水圧管路で流し、大石ダムと1km下流にある大石発電所との高低差を利用し、荒川水力電気(株)が発電を行っています。
最大使用水量は15.0㎥/秒(常時3.84㎥/秒)、最大出力10,900㎾(常時1,300㎾)の発電を行っており、年間あたりの計画発電量は43,160㎾で、一般家庭の消費電力量(330㎾/月)の1万倍量に相当します。

ダム湖側にある大石発電所の取水施設
おおいし湖

ダム湖は土地の名と河川の名から「おおいし湖」と命名されています。

正面手前に見えるしゃくなげ山。向かって右手からは西俣川が、左手側からは東俣川が流れ込み、二つが合わさって大石川となる絶妙な位置に築かれたダムであることがわかります。
全国的にも珍しい、おおいし湖のグリーンベルト

この日の大石ダムの水位は、計画堆砂面ぎりぎりの154.53m。(計画堆砂面154.0m|サーチャージ水位184.5m|常時満水位184.0m)
1年のうちで洪水が発生しやすい6月中旬から9月末頃まで、大石ダムでは洪水に備え、ダム湖の水位を約30㎝ほど低下させて対応しています。一般的に、水位が下がって地盤が剥き出しになった場所は土の色が目立ちますが、大石ダムでは植物が生え育って、ダム湖にグリーンベルトができるのです。これは全国的にも珍しい現象なのだそうです。
グリーンベルトのサイクル
- 9月中旬|植物が種を落とす
- 10月初旬~翌年6月中旬|水深30㎝のところで種のまま生きる
- 6月中旬~|ダム湖の水がひくと当時に発芽
- 夏季|ダム湖の法面が緑地となる
1年のうち3分の2を水中で待ち続け発芽する植物の生命力の強さ。そして、発芽した植物があるからこそ、おおいし湖周辺には様々な動物や昆虫が生息しているのだと実感します。
おおいし湖での取り組み

大石ダムでは2003年頃からカブトムシの自然繁殖の環境作りに取り組んでおり、ダム湖に流れ着く流木をチップ化し、カブトムシの繁殖も行っています。ダム湖近くには大石オートキャンプ村があり、その一角にある昆虫ゾーンでカブトムシの成長する様子が見られるそうです。
おおいしインフォメーションハウスと大石ダム管理支所

おおいしインフォメーションハウス

ダムサイトにある資料館です。大石ダムについて学ぶことができるほか、ダムが置かれた関川村を知る展示などがあります。
大石ダム管理支所
大石ダム管理支所前には、大石ダムの水が導水されていました。飲料用ではないですが、ダム周辺地の水を身近に感じられるポイントだと思います。
普段なら大石ダム管理支所でダムカードを頂戴できるのですが、新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) の影響で、今年2月28日よりダムカードの配布を休止しているとのこと。9月末の時点でも、まだ配布再開にはなっていませんでした。
大石ダム周辺の施設

大石ダム周辺には、地域の憩いの場となる施設が様々設けられています。ダム湖周辺が公園として整備されているほか、キャンプ場や釣り場、親子でたのしめるレクリエーション施設も充実していて驚きました。また、毎年7月下旬にはおおいしダム湖畔まつりが開催されるなど、地域に開かれたダムとしての役割も果たしています。
ダムモニュメント

西俣トンネル(大したもん蛇)

1975年12月に完成した左岸側リムトンネル。その入口には、地元に伝わる大里峠伝説の壁画が描かれています。
関川村に伝わる大里峠伝説

昔々、荒川の支流・女川の上流に蛇喰という村があり、忠蔵とおりのの夫婦が娘のなみと仲良く暮らしていました。ある日のこと、忠蔵が炭焼きをしていると大蛇が出てきたので、忠蔵は持っていた斧で大蛇を退治し味噌漬けにしてしまいました。大蛇の味噌漬けは十二樽半もできました。忠蔵から「この樽は見るな」と言われていたことも忘れ、妻のおりのは大蛇の味噌漬けを全て食べてしまいます。喉が渇いたので女川に水を飲みに行くと、おりのは恐ろしい大蛇の姿になっていました。 夕方になって仕事から戻った忠蔵は、空になった樽を見て事を察し、おりのを探しますが何処にも姿はありませんでした。
それから何年も経ったある日、蔵市という座頭が米沢街道を移動中、ちょうど大里峠で夜になったのでここで休むことにしました。座頭が琵琶を弾いていると、「もう一曲聞かせてください」と美しい女が現れ、身の上話などはじめました。自分は大蛇になって大里峠を住処としているが、やがて
大蛇が川を堰き止めたら村が沈んでしまうと思った座頭は急いで夜道を下り、下関に着いて村人にこの話を聞かせると座頭はもう息をしておらず、琵琶と杖だけが残されていました。村人たちは大蛇が嫌うという鉄を村中から集めてたくさんの釘をつくり、大里峠辺り一面に打ち込みました。すると大蛇が姿をあらわして苦しみ始め、やがて息絶えて村は助かりました。
村人たちは、自分の命を捨ててまで村を救ってくれた座頭を神として祀ることにしました。下関にある大蔵神社には宝物として、いまでも座頭が残した琵琶が祀られているという話です。
大里峠は米沢街道にある峠の一つです。この伝説は、宝暦7年(1757年)に起こった大水害がもとになってつくられたという説があります。昔の人たちは、水害は大蛇や龍神の成す技と考えていたからでしょう。大石ダムが完成した今となっては、大蛇を退治した鉄釘や村人に代わって流域を守ってくれることを願い、ここに大里峠の伝説がデザインされているのだそうです。
大里峠伝説と奥羽水害をテーマとした「大したもん蛇まつり」
大石ダムのある新潟県関川村には、毎年夏になると開催される「えちごせきかわ大したもん蛇まつり」でも有名です。500人もの担ぎ手によって大蛇が町を練り歩く光景は圧巻。ここだけでしか見られない特別感もある大したもん蛇まつりは、毎年6,000人もの観光客を魅了する一大イベントです。
例年、奥羽水害が起こった8月下旬の休日に開催される「大したもん蛇まつり」。祭りの主役は竹とワラで作った大蛇。村民による手作りの大蛇の全長は、奥羽水害発生日にちなんで82.8m。これは大石ダムの堤高ともほど近い数字であり、世界一長い手作り蛇として2001年にギネスにも認定されています。
この地に残る伝説を後世にも伝え、奥羽水害を風化させないための夏の終わりの風物詩であるといえましょう。

大したもん蛇まつり♪|関川
毎年この時期は上越の “謙信公祭” に出掛けてしまうため、なかなかご縁の無かった関川のお祭りですが、今年はどうしても見たくて、この日を楽しみにしていました...
※2012年の古い記事ですが、私が実際に見に行った年のものをリンクしました。よろしければご覧になってみてください。
さて、長い前置きも終わってトンネルの話に戻ります。
現地にいた時には何の説明もなく、ただ真っ暗なトンネルだったので、無理に通過しなくても…と思っていました。入口にスイッチがあったので押すと、10分間照明が点灯して不自由なく歩ける仕組みになっていました。
延長193mの西俣トンネル。出口まであっという間です。
トンネルの先には何があるのだろう?と思っていましたが、殆ど人も通らなくなった荒れた細道が延びているだけでした。西俣川沿いを行くこの道は、
もう少し先まで探検みれば良かったのでしょうが、ダムサイト到着寸前に野生の猿を目撃したこともあって、それもためらわれました。今年はクマの出没や被害も多いので、夕刻(この時午後4時)の人気の無い道は早々に引き返しました。

無事にダム側出口に戻って来た時には、少々ホッとしました。
実はこの西俣トンネル、これまでだとトンネル天井に大したもん蛇まつりで使われる大蛇が吊るした状態で安置されているのだそうです。“祭りの時期になるとトンネルから出されて町内を練り歩く”…と、Wikipediaには説明がありました。
今年はCOVID-19の関係で大したもん蛇まつりも中止でしたので、それもあって大蛇はお留守だったのか?…。殺風景なトンネルで残念でした。
左岸展望公園

いったん下ってまた上る(笑)
西俣トンネル脇には散策路が続いていて、丁度トンネル真上になる辺りに、眺めの良い左岸側の公園が設けられています。

マスクをしたまま上るには、ちょっと息苦しくなる階段の先にあった左岸展望公園。あまり手入れされた感じでは無かったですが、こちらの公園の地面タイルにも大里峠伝説が描かれているようです。

公園の一角には、双眼鏡まで備えた展望台が設けてありました。
丼ちゃん、何が見える?

今歩いてきたところが全部見えるよ!
上から眺める大石ダムもまた良し!

全て見学し終える頃になると、いきなり本降りの雨になってしまいました。
大石東俣彫刻公園

大石ダムを出発し、東俣川沿いを上流に向かって2.5kmほど進むとある東俣彫刻公園。

園内には5基の作品が点在していて、それぞれに宇宙との対話を表現しています。

東俣彫刻公園の最奥部からは車両通行止め区域となり、朳差岳東俣登山コースの出発地点となっています。
おしまいに
標高の高い山間の場所、これからの時期はダムと紅葉の景色もたのしめますね。ご紹介した周辺施設のほかにも、小さな子ども連れでも親子で1日楽しめそうな場所も多々あり、地域に開かれ、地域を守る場所であると感じました。
また、2004年3月に策定された荒川水系河川事業計画のなか、奥羽水害の洪水量の9割相当の流量に対応できるよう、30年規模の荒川整備計画があるとのこと。ゲリラ豪雨や大型台風による水害など、100年に1度と言われるような大規模水害も多い昨今、これからも変わらず流域の安全のために役立って欲しいと願います。
Saturday, September 26, 2020|Dawn太 生後2,042日