笠堀ダム(嵩上げ後)|三条市
三条市下田の道の駅から山奥に向かって車を走らせると、標高879mの光明山を挟むように、比較的近い場所に笠堀ダム・大谷ダム(1971年着工-1993年竣工)という二つのダムが存在します。この二つのダムをもってもなお流域には近年も大きな水害があり、さらに堤体の嵩上げ工事がされた笠堀ダム。
工事期間中は一般人は笠堀ダム施設内への立ち入りが禁止されており、工事が終わってしばらくした頃に一度お邪魔しています。ところが冬期間中だったため引き続き立ち入り禁止で見学もできなかったので、北五百川の棚田にカタクリの花を見に行った日に改めてお邪魔してきました。
水害と改良を繰り返す笠堀ダム

笠堀ダムは、五十嵐川支川である笠堀川に位置し、五十嵐川の治水・三条市への利水・水力発電を目的として昭和39年(1964年)9月に完成した、新潟県が管理する多目的ダムです。県が運営するダムとしては、三面ダムに次いで二番目に古い歴史を持ちます。
平成16年(2004年)7月の集中豪雨「7.13水害」で五十嵐川・刈谷田川が氾濫し、三条市・見附市等の流域14,300戸が浸水するという甚大な被害を受けました。さらにその後の平成23年(2011年)にも「新潟・福島豪雨」が生し、2004年の「7.13水害」を上回る降雨量が観測され、流域は再び甚大な被害に見舞われるという悲劇が繰り返されました。そこでさらなるダムの貯水量を増やすため、2014年から2017年にかけて全国的にも珍しい堤体嵩上げ工事がなされて現在にいたります。
笠堀ダム(1959年着工-1964年竣工|2014-2017年嵩上げ実施)
- 場所:新潟県三条市笠堀
- 河川:信濃川水系五十嵐川支川笠堀川
- 形式:重力式コンクリート
- 規模:堤高(74.5m→)78.5m|堤頂長(225.5m→)250m|総貯水容量(1,540万立方m→)1,720万立方m
厳しい地形、ゆたかな大自然の中に位置する
笠堀ダム周辺地は断崖絶壁で人を寄せ付けず、特別天然記念物であるニホンカモシカの保護区として知られています。また、奥早出栗守門県立自然公園の美しい自然を楽しむこともできます。

近年、真っ白に塗り替えられたカモシカ像と、その隣にある「笠堀ダム建設功労者顕彰碑」の文字は、大漢和辞典編纂という偉業を成し遂げたことでも知られる三条市が生んだ漢学の父・諸橋轍次博士の揮毫によるものです。ご本人によると、越後の智将・直江兼続公のご子孫であるとのこと。
また博士は終戦後、当時まだ皇太子さまだった現在の上皇さまに漢学の進講を委嘱されています。ご進講は殿下が学習院を卒業される時期まで続き、そんなご縁もあって、今上天皇となられた浩宮さま、礼宮さま、紀宮さまの三人のお子様がお生まれになった際も「御名号・御称号」の
笠堀ダム最初の改変

笠堀ダム本体工事は昭和34年(1959年)に着工し、昭和39年(1964年)に竣工しています。
建設当初の笠堀ダムはクレストゲート1門のみでした。ところが、ダム完成から僅か5年後の昭和44年(1969年)に計画を上回る異常出水が発生したため、計画洪水量の見直しにより、放流能力を上げるためにクレストゲート1門を増設する工事がされています。

現在見られる左側のクレストゲートが増設されたものです。当時の改良工事は堤体の一部を取り壊し、ゲート・導流堤・水叩きを増設するという大工事でした。
近年の嵩上げ工事
笠堀ダムとは至近距離の五十嵐川本流に、昭和46年(1971年)に着工し22年という長い歳月を経てようやく完成に至った大谷ダムがあります。この二つをもってもなお洪水は防げず、流域は平成の世に入って二度も大規模な水害が発生しています。
そこでさらに笠堀ダムに手が入ることになり、平成26年3月に着手し平成29年12月に試験放流が行われて完了に至った、全国的にも珍しい嵩上げ工事が行われました。
いざ現地に立ってみても、大人の腰の辺りくらいしか新しいコンクリートが足されていないように感じましたが、実際には以前の堤高より4mの嵩上げがされています。
これによって総貯水量は以前の1,540万㎥から180万㎥分増加して1,720万㎥へ。洪水時最高水位(サーチャージ水位)も2.5m高くなっているそうです。

笠堀湖
嵩上げ後の笠堀ダム
百聞は一見に如かずなので、ここからは嵩上げ後の様子と、2011年7月に訪れた際の写真を並べてみます。
並んでいる写真の左側が嵩上げ後の現在の様子、右側は2011年7月(新潟・福島豪雨の僅か前)に訪れた際の様子です。
堤体左岸下流より

本体コンクリート打設に合わせ、減勢工と二門のゲートの更新が行われています。
左写真:新|右写真:旧
幅4mだった天端は6mに拡幅されました。堤頂長も225.5mから250mと延長されています。
ダム上流側に、平成16年(2004年)7月に発生した「7.13水害」時の最高水位が記されています。その当時、過去最悪の集中豪雨とまでいわれた水害でしたが、まさか2011年に撮影したすぐ翌週に、それ以上の豪雨に見舞われるとは、この時の私は想像すらしていませんでした。
二つもダムがあるのに水害が起こったと、その当時、下流域の住民たちは抗議しました。しかし、もしもここにダムが二つ存在していなかったら……。想像することすら恐ろしいです。
こうやって新旧並べて比べてみると、同じ水害ラインも随分と目線が違って見えるようになったことが分かります。嵩上げ工事と共に、奥にあった管理棟は隣接地に移築されました。

笠堀湖水が流れ落ちる場所がありますが、これは隣接するもう一つの大谷ダムから流れ込む水です。二つのダムはこんな風に導水管で結ばれているのです。

現在、放流管ゲートの設備工事が行われているため、天端中央手前で立ち入り禁止となっており、肝心の洪水吐真上からの眺めはお預けでした。

表面取水用の装置も規模が大きくなりました。
左写真:新|右写真:旧
減勢工も新しいコンクリートが見られるようです。
ダム直下にあるのは、新潟県企業局が昭和39年10月から水力発電を行っている無人の笠堀発電所です。(最大出力7,200kw)

記憶に新しいところで令和元年台風第19号がありますが、この台風の接近によって新潟県内では10月12日から13日にかけて大雨となり、我が家周辺にも警戒レベル4が出ました。自分のところであたふたしていたのでその時には気がつきませんでしたが、五十嵐川が暴れているといったニュースは耳にしなかった気がします。これもダムがあってのことですね。
おしまいに
笠堀ダムの嵩上げ工事にともない、ダム周辺地は駐車場や公衆トイレも整備されて綺麗になりました。
帰り際、管理事務所の灯りがついていましたが、この時期なので人に会うこともためらわれ、ダムカードもいただかずに帰ってきました。 翌週、政府が東京など7都府県に緊急事態宣言を出した4月7日以降は、笠堀ダムも見学会の開催やダムカードの配布をお休みしています。
ダムカードはまた、世の中が元気になった頃にでもいただきに行くことにします。
Saturday, April 4, 2020