【羽黒山】出羽三山神社の見開き御朱印と黄金に輝く五重塔御朱印 ほか
この度の羽黒山参拝旅で、私が頂戴してきた御朱印の数々です。
今現在、羽黒山への参拝において、「羽黒山合祭殿御朱印所」と「随身門授与所」の二ヵ所にて、合計6種類の御朱印を頂戴することができます。
初めていただいた見開きページいっぱいに書かれた御朱印、この日が初領布だったという特別な御朱印も含まれます。

なお、羽黒山山頂までの道中記はリンク先にて!

東北のパワースポット「羽黒山」人生二度目の東の奥参り体験記|山形県
今年のGW「こどもの日」は、かねがね再訪したいと思っていた羽黒山へ行ってきました...
三神合祭殿(さんじんごうさいでん) 御朱印

出羽神社 御祭神
- 伊氏波神(イデハノカミ)
- 倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)
月山神社 御祭神
- 月読命(ツクヨミノミコト)
湯殿山神社 御祭神
- 大山祇命(オホヤマツミノミコト)
- 大己貴命(オホナムチノミコト)
- 少彦名命(スクナヒコナノミコト)
令和の時代になって最初にいただいた御朱印であり、私の人生初であった、大迫力!見開きページの御朱印です。「令和元年 奉祝 御世(みよ)替(がわ)り」の金字の判もまた、新時代を迎えた特別感があって記念になります。
蜂子神社(出羽三山神社) 御朱印

出羽三山神社御開祖・蜂子皇子を祀った神社です。
出羽三山御開祖「蜂子皇子」は、欽明天皇23年(562年)に崇峻天皇の第三皇子として誕生した皇族です。推古天皇元年(593年)に出羽三山を開き、その後も幾多の功徳を残されています。舒明天皇の13年(641年)10月20日、羽黒山にて死去。享年80歳(羽黒山のサイトでは御年91歳と諸説あり)。
羽黒山東照社(出羽三山神社)ならびに 天宥社(出羽三山神社) 御朱印

東照社は、徳川家康公を祀ったお社。
羽黒山中興の祖といわれた天宥法印が、日光東照宮(栃木県日光市)の分霊を勧請し、東照宮としたと伝わります。以来、歴代の藩主の崇敬庇護のもと維持されてきました。東照宮は明治期に東照社と改められました。現在の社殿は昭和55年(1980年)に解体復元されたものです。
天宥社は、羽黒山中興の祖といわれる天宥法印を祀ったお社。
天宥法印は江戸時代初期の羽黒山第50代別当で、南谷の造営や表参道石段の敷設、杉並木や須賀の滝など、今ある境内の景観整備などを行いました。戦国の世の動乱により衰微していた羽黒山を立て直すため、38年もの長きにわたり尽力してこられた天宥法印なくして、今の羽黒山は語れないのだと思います。
▲ここまでの御朱印は、山頂の羽黒山合祭殿御朱印所でいただきました。
羽黒山天地金神社(出羽三山神社・末社)御朱印

御祭神 須佐之男命(スサノオノミコト)
安永8年(1779年)羽黒山智憲院宥然により再興された、随神門右手前にある朱塗りのお社。当初は元三大師像を御本尊としてしたので「大師堂」といわれていましたが、昭和39年(1964年)より須佐之男命をお祀りし現在に至っています。
羽黒山五重塔(国宝) 御朱印

5の付く日限定「羽黒山五重塔」金の御朱印
木の質感そのままの素木造りの五重塔。夕陽に照らされた姿、夜間にはライトアップがされるなど、時間帯によっては黄金に輝いたようにも見えます。そんな五重塔を模し、「金」の墨で書かれた特別な御朱印がいただけるようになりました。
金字の御朱印は「五重塔」にちなみ、今年五月から毎月五日、十五日、二十五日と、五の付く日だけ頒布されます。
何も知らずにこの日を選んでの参拝でしたが、金の御朱印だけでも珍しくて有難いというのに、その頒布初日だったわけですね。それで早朝から長蛇の列が!(…と、ここで妙に納得する。)
早朝並んだ人のお話では、金の御朱印をいただくのに2時間近い待ち時間が必要だったとか。SNSなどで拡散すると、今後はさらに待ち時間も長くなるのかな!?
私も朝に見た大行列を覚悟で下山してきましたが、山頂参拝から戻ってきた午後2時半過ぎになると、行列も減って待ち時間も短く、20分程度でいただくことができました。これもご利益あってのことかな。
▲こちら2つの御朱印は、随神門授与所でいただきました。