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東北のパワースポット「羽黒山」人生二度目の東の奥参り体験記|山形県

2019年05月24日

歴史を訪ねて
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歴史探訪 山歩き ワンコOK Dawn太4歳2ヶ月
出羽三山神社の前に立つDawn太

今年のGW「こどもの日」は、かねがね再訪したいと思っていた羽黒山へ行ってきました。

前回訪ねたのは、丼父さんの大学時代の友人たちと年に一度開催される大人旅行の時。当時一歳の誕生日を迎えて間もない長女を連れて行った年だったので、彼是29年近くも前ということにあります。

1,400年以上の歴史を持つ出羽三山の表玄関

山形県の村山地方と庄内地方にまたがる羽黒山は、月山、湯殿山と共に「出羽三山」を成し、開山から1,400年以上の歴史ある霊場です。なかでも山岳修験の霊場として知られる羽黒山は出羽三山の表玄関と称され、「西の伊勢参り、東の奥参り」と呼ばれるほど深い信仰を集める場所。近年のブームもあり、老若男女問わず多くの人が訪れる、東北随一のパワースポットとなっています。

出羽三山開山の祖は、飛鳥時代の皇族である蜂子皇子(はちこのおうじ)。父である崇峻天皇が蘇我馬子により暗殺さたため、皇子は聖徳太子によって匿われ、馬子から逃れるべく宮中を脱出します。丹波経由で北に向かい、やがて出羽国に辿り着いた蜂子皇子のもとに三本足の烏が現れ、皇子を山へと導いたという伝説が残り、それが山名の由来といわれています。

■□■ ちょっと余談 ■□■
現代ではカラスというと嫌われモノですが、三本足の烏の話は古く日本神話にも登場します。中国では前漢時代(紀元前3世紀)の書物に登場しています。また高句麗で三足烏(サムジョゴ)といえば天孫の象徴ともなった生き物(「朱蒙」面白かったな)。サッカー日本代表選手の胸のエンブレムも八咫烏(ヤタガラス)…と、三本足の烏は縁起の良い生き物と考えられていたのだと思われます。

ハイキングコースとしても人気な羽黒山

羽黒山遠景

羽黒山の標高は414m。参詣道の入り口から山頂まで距離にして2㎞弱。終始石段の上り坂が続きますが、1時間もあれば着くのでハイキングコースとしても人気です。脚に自信のない人は、有料道路も整備されていますよ(コッソリ)。

気候の良いGW中ということもあったのでしょうが、午前9時半に到着した時、すでに少々出遅れ気味な感じ。私たちが無料駐車場に停めて間もなく、満車の案内がありました。

金の御朱印に列をなす参拝者たち

朝9時半の随神門前。何だこの行列は!?

いや、これまた出遅れ感半端ない!この行列に並ばないと神域に入れないのかと思ったら、特別な御朱印を頂戴するための行列でした(汗)。…ってことは、帰りに私もこれに並ばないといけないってこと?(この話はまた別記事にて)

いざ、神域へ

出羽三山神社二の鳥居

随神門前にある天拝石

天拝石

随神門

随神門

月山を越え、湯殿山にまで広がる広大な神域の表玄関がこの随神門です。明治時代まで「仁王門」でしたが、現在は「随神さま」が安置されています。ここから一歩足を踏み入れれば神域。空気感も変わってきます。

継子坂付近に祀られている境内社

継子坂(ままこざか)付近に祀られている境内社

随神門を潜ると昼間でも少し薄暗く、大樹に守られているように感じる下り坂。参道の両脇に広がり鬱蒼と感じるその正体は、特別天然記念物に指定され、樹齢300年~600年ともいわれる老杉並木です。その最初にあって、表参道唯一の下り坂が「継子坂(ままこざか)」。継子坂の途中から終わりにかけ、磐裂神社・根裂神社・五十猛神社・大年神社・天神社・豊玉姫神社の境内社・六社が祀られています。

朱塗りの祓川神橋

朱塗りの祓川神橋(はらいがわしんきょう)

継子坂を下りきると祓川に掛かる神橋に出ます。この神橋を境に御神域に入るとされています。

流れる祓川と須賀滝、境内社

流れる祓川と須賀の滝。境内社(左)祓川神社|(右)岩戸分神社

祓川神橋から祓川を挟んで対岸に「須賀の滝(すがのたき)」が流れ落ちています。その昔、出羽三山に詣でる人たちは必ず、祓川の清流で水垢離(みずごり)をしてから参拝に向かったそうです。

言わずと知れた必見ポイント!歴史を見守り続ける巨杉と五重塔

天然記念物の爺杉

羽黒山の杉で最古といわれる天然記念物の爺杉

参道に500本以上あるという杉の中、ひと際存在感を放つのが、羽黒山の中で最も古く、天然記念物にもなっている「爺杉(じじすぎ)」です。その樹齢は一千年以上といいますから、他の老杉とは桁違いです。以前は「婆杉」も存在していたそうですが、明治35年(1902年)の暴風によって失われています。

爺杉と記念撮影するDawn太、奥に五重塔

根周り10.5m。幹回り8.25m。高さにいたっては計り知れぬ感じで、多くの歴史を見守ってきた大先輩を見上げつつ頭が下がる思いです。

そしてDawn太の肩越しに見えているのは、もう一つの必見ポイントである国宝「五重塔」です。

国宝五重塔

国宝羽黒山五重塔

往古より羽黒の地は会津や平泉と共に東北仏教文化の中心であり、かつてこの五重塔は「瀧水寺の五重塔」と呼ばれ、近くには多くの寺院が建立されていました。寺院が無くなってしまった今、五重塔だけが残されています。

初代は平安時代に平将門が創建。高さ29m、三間五層の杮葺(こけらぶき)の現在の塔は、約600年前に再建された東北地方唯一の国宝の五重塔です。

五重塔の庇部分

塗りの施されない素木造り。釘を使わず建てらた宮大工の技がヒカリます。冬になれば数mの積雪がある地であるため、下層から最上層まで屋根の大きさが統一されていること、屋根の反り具合まで計算された雪国仕様の五重塔は、文中元年(1372年)の頃、庄内の領主で羽黒山の別当であった武藤政氏の再建と伝えられています。

五重塔近くのお地蔵さんとDawn太

近くに多くの寺院があった時代の名残りなのか、五重塔付近にはポツポツと残された石仏などが今でも見られます。

江戸時代に造られた2,446段を踏みしめ無心で進む

2446段の石段の始まり

五重塔を過ぎる頃、全部で2,446段あるという羽黒山表参道の石段が始まります。この石段は江戸時代の頃、羽黒山50代別当・天宥(てんゆう)法印が、13年の歳月をかけて敷設したもので、近年では周囲の杉並木と合わせ、フランスの「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」で三ツ星に輝いています。

一の坂

一の坂

ここから山頂に至るまでに大きな坂を3つ上ります。参道にある石段の数では、羽黒山は全国一ともいわれますよね。まずは「一の坂」から!

一の坂途中の境内社「天満神社」の獅子鼻

一の坂途中の境内社「天満神社」の獅子鼻と象鼻

山頂にいたる坂道の間にも、七~八社ほどの境内社が鎮座しています。それぞれに佇まいも違いますし、小さいながらも向拝や木鼻に立派な彫刻が施されたものもあり、1つ1つ眺めながら進むのもまた楽しいです。

石畳を嗅ぐDawn太

ん!?Dawn太も何か見つけた?

石段に彫られた絵

石段に落ちた葉影が綺麗だな…と思ったら、あら?何か凹みがある!他にも探しながら歩いていると、あんなカタチやこんな形をして彫り込まれた絵を見つけることができます。あとで知ると、石段には全部で33個の彫り物があり、全部見つけると願いが叶うとか…うち18個見つければOKとかいわれています。是非、探しながら上ってみてください。

火石

一の坂途中にある「火石」

火石はまたの名を「蛍石」ともいい、夜になると発光し参道を照らすようです。昔はこれを頼りに歩いたとか。

湯殿山遙拝所

丼母:湯殿山は来る道々で車内から見たから寄り道しないよ!残念ながら遙拝所からは望めないし。

二の坂

二の坂

別名「油こぼしの坂」ともいわれ、羽黒山の中では一番キツイ上り坂です。

私の後ろから上って来る先輩女性が「ご利益、ご利益」と、お連れの方を励ましながら上ってられました。なるほど!この苦労もご利益のうちなんだ。

二の坂茶屋「力餅」の案内

名物の「力餅」が誘惑してくる二の坂茶屋

丼母:今はムリ。吐く!(…お楽しみは帰路に)

芭蕉塚

二の坂途中にある芭蕉塚

松尾芭蕉も弟子の曾良と一緒に、奥の細道行脚の際に訪れた地らしいです。

涼しさや ほの三日月の 羽黒山(芭蕉)
御本坊跡

二の坂途中にある御本坊跡

二の坂を上りきると、少しホッとできるような平地が続きます。少し進んだ右手平地の中に、ポツンと赤い鳥居が立つのが見えます。ここはかつて羽黒山をおさめていた「若王寺宝前院」の跡地で、明治時代までは御本坊と呼ばれていました。

南谷への分岐点

南谷への分岐点

南谷は約300年前の江戸時代の頃、羽黒山第50代別当・天宥法印(石段を造った人)が築造した別当寺の別院跡です。南谷は明治時代の神仏分離の際に全て取り壊され、現在は玄陽院の一部の磁石のみ残された場所になっています。芭蕉がこの地を訪ねた際、南谷に6日間逗留し一句吟じています。

有難や 雪をかほらす 南谷(芭蕉)

南谷との分岐点を過ぎれば、最後の三の坂がはじまります。3つの坂の中では最も長い坂ですが、でもあとひと踏ん張り!

疲れがピークで手ブレた写真

山登りの行きは「一気派」なので、ここまで休み無しできました。途中から、Dawn太のリードが良い具合に引き上げ役をしてくれましたが、三の坂に入った頃には写真もブレブレ。さすがの丼杖も役に立たなくなりつつあり、脇道に入って休憩することにしました。

休んだ先は縁結びで人気のスポットだった

お守りの結ばれた埴山姫神社

三の坂途中にある境内社「埴山姫神社」

「埴山姫神社」は名のとおり、御祭神は土を司る神さま埴山姫命(はにやまひめのみこと)。埴山彦命(はにやすひこのかみ)とともにあって縁結びの神社として若い女性に人気のスポットで、ここにお参りしたいがために羽黒山を訪れる女性もいるのだとか。社の格子戸に結んでお参りするとご利益あるとかで、五円玉をぶら下げた赤い紐のお守りがたくさん結ばれていました。

■□■ ちょっと余談 ■□■
「古事記」における神産みの話によれば、伊邪那美命(いざなみのみこと)は火の神である火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を生む際に深刻な火傷を負って病気になってしまいます。その苦しみの中、吐しゃ物からは鉱山の神である金山毘古神(かなやまびこのかみ)と金山毘売神(かなやまびめのかみ)が生まれ、尿から生まれたのが水の神である弥都波能売神 (みつはのめのかみ)と和久産巣日神 (わくむすひのかみ)、そして糞から生まれたのが土の神であり、ここに祀られる埴山姫命(はにやまひめのみこと)と埴山彦命(はにやすひこのかみ)といわれています。「埴」とは粘土のことを意味し、神糞から粘土や赤土を連想したのでしょう。
結局、火の神を生んだ時に負った火傷により、伊邪那美命(いざなみのみこと)は命を落としてしまいますが、神にもある生みの苦しみの話、思い出す度にいろいろと考えさせられてしまいます。

埴山姫神社の裏手で休憩中のDawn太

そんな縁結びの埴山姫神社の裏手で小休止。ここで少しばかり水を口にして、ちょっと人心地が付きました。

埴山姫神社の裏手に咲いていた真っ白なニリンソウ

ふと見ると、神社の裏手には真っ白な二輪草(ニリンソウ)が咲いているではありませんか!一つの茎から2本の花が咲く二輪草。「枯れて落ちても二人連れ」の松葉のように、仲良く寄り添って咲く姿が、縁結びの神様のお傍に相応しい気がしました。

三の坂の様子

再び歩き出す三の坂。右脇によって休んでいる若いご夫婦、旦那様の方が赤ちゃんを背負って登山中で、29年前の私たち夫婦とオーバーラップして見えました。その当時、長女をおんぶしてこの石段を上がってくれたのは旦那で、1歳の子を背負っては随分キツかったと思います。私は手ぶら登山だったし、まだ24歳だったのでバリバリ元気で楽勝でしたけど(笑)

三の坂途中にある境内社「尾崎神社」

三の坂途中にある境内社「尾崎神社」

こちらの社は、木鼻に牡丹のような花があしらわれていました。屋根装飾に花がモチーフとなった彫り物は見たことがありますが、木鼻にあしらわれているのは珍しいのではないでしょうか。

赤い鳥居が見えてきた

歩きはじめて1時間。ようやく赤い鳥居が見えてきました。

いよいよ29年ぶりの三神合祭殿へ

境内入口の両部鳥居

一の鳥居を潜り、無事に羽黒山山頂に到着です。現在は朱塗りの両部鳥居ですが、青銅の鳥居であった時代もあったそうです。戦時中に供出せねばならず…これも致し方ない。

羽黒山手水舎

私たちは手水舎で身を清め、Dawn太はここでも少しばかりお水を頂戴し、乾いた喉を潤していました。

厳島神社

両部鳥居と本殿の間に鎮座する「厳島神社」

厳島神社向拝

境内地にある社は、その彫刻もまた格別。どうです、この向拝。

見応えのある厳島神社柱の昇り龍下り龍の彫刻

そして何といっても、柱に巻きつくように施された、見応えのある昇り龍下り龍の彫刻。目力が凄い!そして「北越 大川後藤重太郎」と彫り込まれているのが見えます。

開山の祖を祀った蜂子社

開山の祖を祀った蜂子命社

出羽三山開祖・蜂子皇子を御祭神として祀った神社です。皇族の方なので、新時代の幕開けと新天皇の誕生を祝った幟旗が立ち、この日は正面の扉が開けられた状態で参拝できました。

金色の厨子が見える蜂子社

こちらも向拝の彫刻が見事。内部に金色の厨子が見えます。

本殿への僅かな階段

さらにもう一段高い場所にご本殿があります。

国の重要文化財に指定されている「三神合祭殿(さんしんごうさいでん)」

やっと着いた~!やっぱり何度見てもデッカイ社殿。

厚さ2.1mという日本最大級の茅葺屋根を持つ現在の社殿は、文政元年(1818年)に再建した歴史あるもの。平成12年(2000年)に国の重要文化財に指定されています。

向拝の睨み龍

神社彫刻も好きで、大きな社殿いっぱいに彫り物がって写真もたくさん撮りましたが、これ以上増やしたら収拾がつかなくなるので(笑)睨み龍の目力写真一枚だけ!虹梁上に真っ黒な力士像が屋根を支えた彫刻もあり、日中眺められていられそうな場所でした。

三神合祭殿正面

三神合祭殿正面。「湯殿山神社」「月山神社」「出羽神社」と三神社号額が掲げられています。そして、やっぱり山頂も御朱印の列が凄い(汗)ここから御朱印をいただくまで、40分の待ち時間が必要でした。

国の重要文化財「萱葺き屋根の鐘楼」と「建治の大鐘」

国の重要文化財「茅葺き屋根の鐘楼」と「建治の大鐘」、そしてその奥に「三神合祭殿」が見えるポイント。

萱葺き屋根の鐘楼と建治の大鐘

茅葺き屋根の鐘楼は、江戸時代の元和4年(1618年)最上家信の寄進によって再建されています。羽黒山内においては、五重塔に次ぐ古い建造物になります。

蜂子皇子の墓

陵墓(皇族墓)

出羽三山神社にある、開祖・蜂子皇子の墓です。東北地方で唯一の皇族の墓で、現在も宮内庁によって管理されています。

境内の雪山で涼むDawn太

境内地にはまだ溶け残った雪山がありました。(後で知ると)26℃まで上がった暑い日だったので、冷たい雪の上でクールダウンできて有難かったです。

逆に、鏡池周辺にも雪山があったので、その神秘な姿はまたの機会にでも。

おしまいに

羽黒山の案内板

その昔は修験者の厳しい修行の場も、現在はリードがあれば、ペット同伴でもOKな場所へと変わってきています。

登山道途中で会った可愛い子

参道の行き帰りにも、同じように犬連れのご家族とすれ違いましたが、ボーダーサイズを連れた人は稀で、やはり周囲に気を遣う場面もあり、最低限のマナーは守らなければいけないと思いました。

しかし、観光客相手の地元の方々をはじめ、登山者の中にも犬好きさんは非常に多く、すれ違う度に「大きなワンワンね。」「可愛いね。」「大人しい子ですね。」「お利口さんね。」…と、多くの人に声を掛けていただき、行く先々でいろんな人にたくさん撫でてもらえた楽しい羽黒山詣ででした。

神社参拝の話はこれでおしまいですが、羽黒山の話はもう少し続きます。

Sunday, May 5, 2019|Dawn太 生後1,532日

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そふぃあ
Posted by そふぃあ
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