雁子浜にある人魚塚伝説の碑と人魚の家|上越市
この日もポツポツと雨が落ちてきましたが、人が来ないという条件が増えるだけなので、かまわずに遊ばせました。

ここに来て遊ぶ度、私がずっと気になっていたのが「人魚伝説公園」への案内。
Dawn太が海岸で走るのは、人が海岸に出てこないような時期なので、本犬満足する頃にはこちらが寒さ限界で、そのまま素通りすることばかりでした。人魚像の冬囲いも外され、寒さも少し和らいだ時。かねがね行ってみたいと思っていた、大潟区の「人魚伝説」にまつわる場所を訪ねました。

平成5年(1993年)に建立された鵜の浜海岸の人魚ブロンズ像(渡邉憲氏 作)
上越市大潟区にある「人魚伝説公園」

鵜の浜海岸の人魚像から僅か600mの距離の日本海を望む小高い場所に、その公園はひっそりとありました。

人魚伝説公園内には、人魚塚伝説の碑と常夜灯、そしてこの地に伝わる人魚塚伝説についての説明板があります。
人魚の登場しない人魚伝説
大潟区に伝わる「人魚伝説」とは、神社の常夜灯を頼りに毎夜通ってくる佐渡の娘と、潟町に住んでいた若者との間で起こる悲恋物語です。この地が袴形村と呼ばれ、この場所に住吉神社があった頃に起きた、ある水難事故が元になっているといわれています。
袴形の神社は小高い丘の松林の中にあり、佐渡島を臨む鳥居の南側には常夜灯が一列に並んでいて、悪天候でも献灯が絶えなかったといいます。若者がたった一晩常夜灯を消したばかりに、辿り着けなかった娘は亡骸となって袴形の崖下に打ち上げられます。自分のしてしまったことを深く後悔した若者は、娘の後を追って自分も海に身を投げてしまいます。二人に同情した村人たちは常夜灯の近くに二人を埋葬し、一基の比翼塚(ひよくづか)をつくり、地蔵尊像を安置して菩提を弔ったと伝わります。
実はこの話には、一度も「人魚」という言葉は出てきません。それがいつからか人々が「人魚」と呼ぶようになったのは、小川未明が大正10年(1921年)に発表した創作童話「赤い蝋燭と人魚」が大きく影響しているのでは?と思われます。
小川未明は明治15年(1882年)4月、現在の上越市高田にて生を受けます。未明の父・小川澄晴は熱烈な謙信フリークであったため、15歳の頃には一家で春日山に居を移しています。城址にある春日山神社は未明の父・澄晴氏によって創建されたものであり、神社周辺には未明の資料館をはじめ、詩が刻まれた石碑、人魚をモチーフにした石像などがあります。
いつも身近に日本海を感じながら生活していた未明の作品には海が登場するものも多く、大潟区に伝わる悲恋物語は、童話「赤い蝋燭と人魚」のモデルとなっているともいわれています。多感な中学時代に未明が世話になっていた、足の不自由な美しい夫人とその娘から物語の想の一端を得たとしても、何ら不思議はないはずです。障害のある足を「人魚」に例える発想力こそ、「日本児童文学の父」と称される由縁かも知れません。
現在、神社跡地は整地され、石碑と一基の常夜灯を残すのみとなっています。

平成5年(1993年)に建てられた人魚塚伝説の碑(比翼塚)

古を偲ばせる常夜灯

現地に立ってみると、人魚塚伝説の碑は佐渡の方を向いては建っていません(佐渡は写真右奥方向です)
いわさきちひろ絶筆となった「赤い蝋燭と人魚」

「赤い蝋燭と人魚」の話になると私の中で切り離せないのが、絵本作家のいわさきちひろが描き、彼女の未完の遺作となったこの一冊です。
病床の身を押してこの雁子浜へと足を運び、たった1日という短い時間の中でのデッサンだったそうです。

ちひろも訪れた同じ場所から見た日本海。冬枯れのままで佐渡は遠く、色彩が施されなかったデッサンともシンクロするような印象でした。
そして大潟区に伝わる悲恋物語は、柏崎に伝わるもう一つの悲恋物語にもよく似ています。名前の語呂が悪いということから、お弁がお光、藤吉が吾作に改められ「佐渡情話」として周知したように、大潟区の悲恋物語も「人魚」という夢のあるワードによって、人々に印象付けられたのだと思います。
見えているのに届かない佐渡という存在は、憧れの場所であり、そんな物語りをも紡ぎ出させる罪深き場所であるのかも知れません。
人魚の家をモチーフにした潟町駅

もう一箇所訪ねてみたかったのは、鵜の浜海水浴場最寄り駅となるJR信越本線「潟町(かたまち)駅」でした。

小さな無人駅ですが、平成27年(2015年)3月に改修工事が実施されており、駅舎は「人魚の家」がイメージされた造りになっています。

至るところに人魚がいます。

いた!
駅舎内もメルヘンの世界

ご覧のとおりにとてもコンパクトな待合室ですが、並んだ常夜灯を彷彿とさせる間接照明付きの椅子が置かれ、壁面には海の生き物や人魚、かっぱが影絵となって映し出されていました。
大潟区は人魚伝説だけでなく「かっぱ伝説」もあるところで、鵜ノ池にはかっぱが棲んでいると伝わり、年一度だけ、かっぱが地元の人間たちと大騒ぎできるというお祭りまであるのです。様々なメルヘンを持つまちのようですね。

潟町駅にある人魚のステンドグラス
おしまいに
大潟区の人たちにとって、まちの大切なシンボルである人魚。上越市内には全部で9体もの人魚像があるそうです。そんな人魚像を探しつつ、まち探検してみるのも面白いかも知れません。Sunday, March 17, 2019|Dawn太 生後1,483日
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