国指定史跡 古津八幡山遺跡

Byそふぃあ

----- Sunday, September 2, 2018 ----------  Dawn太(生後1,287日)
古津八幡山遺跡
「水と土の芸術祭」参加作品である ▲水の声 があるということで訪ねた新潟市新津美術館。
そのお隣には、旧石器時代から平安時代までの生きた歴史が学べるというガイダンス施設「弥生の丘展示館」があります。

その裏手に見える丘陵地は、弥生時代の史跡になっているという話。
山頂部には、県内では最大級の円墳が復元されているということなので、気温30℃の暑い日ではありましたが、歴史の匂いに惹かれ、芸術鑑賞のあとに向かってみました。

古津八幡山遺跡
。。。そう言われて改めて見てみると、美術館の前庭にあった作品は、この古墳の形を模して造られたようにさえ思えてきます。

古津八幡山遺跡
新津美術館と弥生の丘展示館の間にある、この遊歩道を進みます。

古津八幡山遺跡
歴史体験なども行われる弥生の丘展示館。
そんな時に使われるのか!?植物の栽培がされている一角がありました。

古津八幡山遺跡
散策路脇の大木には、まだ青いヤマボウシの実も。

古津八幡山遺跡
山頂部には、草刈り当番のヤギさんもいるようです。

古津八幡山遺跡
▲遺跡名称標
この辺りからが、遺跡の領域になります。

古津八幡山遺跡
▲小高い丘陵地にある歴史広場
僅かに10分登っただけで、平野部が望める歴史広場に到着です。

国指定史跡 古津八幡山遺跡

古津八幡山遺跡
▲古津八幡山古墳と弥生時代の遺構

古津八幡山遺跡は、信濃川と阿賀野川に挟まれた新津丘陵上に位置する、弥生時代後期(西暦元年~三世紀中期頃)の大規模な高地性環濠集落です。
高地性環濠集落とは、高い場所に造られ、周囲に濠を巡らせた集落のことです。
弥生時代後期になると、平地から30m以上の丘に高地性集落があらわれます。水耕耕作に不向きなこと、周囲を濠で囲んだ環濠集落があることから、戦いに備えた防御的集落と考えられています。
古墳時代になって争いごとが収まると、人々は丘の上から麓へと住まいを移しているようです。

古津八幡山の集落は標高50mの丘陵上にあり、途切れ途切れながらも周囲に濠を巡らしています。この環濠に囲まれた範囲は南北400m、東西150mあり、竪穴式住居が51棟、方形周溝墓、前方後方形周溝墓が見つかっています。
また、集落が途絶えてから150年後の古墳時代前期の終わり頃から中期の初め(西暦4世紀終わり~5世紀初め)頃には、新潟県内最大の円墳である古津八幡山古墳が築かれています。

遺跡の発見は昭和62年(1987年)の頃で、磐越自動車道建設等のため、土取り工事に伴う試掘確認調査の際に見つかっています。残念なことに金津丘陵製鉄遺跡群に至っては、その当時の土取り工事によって失われ、現在は県立植物園となっています。
遺跡の発見された昭和62年(1987年)に第1次調査が入り、平成25年(2013年)の第19次調査に至るまでの長きにわたり、幾度もの入念な発掘調査が行われました。

古津八幡山遺跡は、弥生時代後期から古墳時代にかけての社会情勢や変化を示す重要なものとして、平成17年(2005年)7月14日に、その約12haが国指定の史跡となっています。
平成19年(2007年)からは、遺跡の内容が明らかになった部分から史跡整備に着手。環濠と土塁、竪穴住居7棟、墓など、古津八幡山遺跡の復元整備工事が行われました。
平成27年(2015年)4月17日より、1,600年前の姿を蘇らせて全面公開の時を迎えています。

南地区

道を登った先にある南地区は、南北方向の痩せ尾根に設けられた条溝①によって北区と分断されています。
東西方向にのびた南区は、その中程にある条溝②によってさらに東西に区分されており、十数棟の竪穴式住居が見つかっています。

古津八幡山遺跡
▲南地区中央部にある条溝②

古津八幡山遺跡
▲南地区にある復元竪穴式住居2棟

古津八幡山遺跡
地面を掘り下げて造る竪穴式は、山からの水が入り込まないように、掘った土を周りに盛り上げ、外側は溝を掘っています。

古津八幡山遺跡
▲住居入り口には、地元系(八幡山式)の弥生土器が置かれているという心憎い演出!

古津八幡山遺跡
▲土器や薪が置かれた竪穴式住居内

古津八幡山遺跡
住居の構造は隅の丸い四角形で一辺の長さは4~5m。4本の柱と中央に薪を燃やす炉があります。
壁際には物を蓄える穴があります。

古津八幡山遺跡
▲北地区へと繋がる通路の様子

古津八幡山遺跡
▲南地区と北地区を区分する条溝①と土塁
幅3.5m、深さ2mもあり、古津八幡山遺跡の中では最も規模の大きな濠の遺構です。

古津八幡山遺跡
▲土橋状の通路

古津八幡山遺跡
▲土塁があれば濠もある
こんなに古い時代にもうすでに、中世山城と同じ防御の構造を持っていたことに驚きました。

北地区

弥生時代の集落の中心部で、北側と東側にのみ濠がみられます。
北地区は外環濠Cと内環濠A・Bがある範囲と、その北側の外環濠A・B・Dがある範囲の2つに区分されます。北側の外環濠A・B・Dがある範囲では、150年ほど後の古墳時代中期になると、新潟県内では最大級の円墳となる古津八幡山古墳が築かれます。

古津八幡山遺跡
古津八幡山遺跡で見つかった濠は、環濠といっても完全に集落を取り囲んではおらず、あちこちで途切れているのが特徴です。濠は下が狭いV字をしたもので、深さ2mほど。外側には土塁があったものと推測されます。
外環濠Cの外側には、方形周溝墓という四角い墓が見つかっており、集落域と墓域が分けられていたことを示しています。

古津八幡山遺跡
▲現在、5棟の竪穴式住居と墓が復元されている北地区
南地区から続くのは、外環濠Cと内環濠A・Bがある範囲です。

古津八幡山遺跡
▲外環濠C 

古津八幡遺跡
▲方形周溝墓

古津八幡遺跡
外環濠Cの外側に、ムラの長の墓ではないか!?と考えられている方形周溝墓があります。

古津八幡山遺跡
▲北地区・内環濠A・Bがある範囲に復元された竪穴式住居

古津八幡山遺跡
▲北地区住居内部

古津八幡山遺跡
復元住居を見て不思議だったのは、入口の向きが一定でないこと。
実際にはまだ数多くの住居があったはずなので、当時の様子には何か、規則性のようなものがあったのかも知れません。

古津八幡山遺跡
栗の木が雰囲気を増します。

古津八幡山遺跡
▲写真の左側奥には、前方後方形周溝墓があります。

古津八幡山遺跡
▲前方後方形周溝墓

古津八幡山遺跡
会津坂下町に残る稲荷塚遺跡の前方後方形周溝墓は、北陸から、ここ古津八幡山遺跡を経由して伝わったといわれるものです。
同形の墳墓は、北陸、会津、東北などに多くみられます。

古津八幡山遺跡

古津八幡山遺跡
▲北地区を2つに区分する内環濠A・B
総延長は80mあります。AとBの間は繋がっていないので、通路として利用されていたと考えられています。

古津八幡山遺跡
▲古津八幡遺跡遠景(現地案内板より)

古津八幡山遺跡
▲北地区・北側の外環濠A・B・Dがある範囲
奥に古津八幡山古墳が見えてきます。

蒲原の王墓 古津八幡山古墳

古津八幡山遺跡
▲古津八幡山古墳空中写真(現地案内板より)

古津八幡山古墳は、遺跡のある標高50mの丘陵北端にあり、蒲原平野を一望でき、平野からも望むことができる丘陵の先端を選んで築かれています。
周濠から出土した土器や墳丘の築造方からみて、古墳時代前期の終わりから中期のはじめ(西暦400年頃 / 約1600年前)に造られたと考えられ、越後平野の各地域の豪族が共有して推し立てた王(有力な豪族)の墓であった可能性も考えられています。
直径にして60mもあるこの古墳は、県内の古墳の中でも最大級の大きさの円墳で、墳丘斜面中ほどには幅4~5mのテラスが巡っています。また、南西側には最大幅13m、深さ4mの巨大な濠がみられます。

古津八幡山遺跡
▲墳丘
斜面中ほどに幅4~5mの広い平坦面(テラス)が巡る、二段構成の円墳です。

古津八幡山遺跡
▲巨大な周濠
南西側には最大幅13m、深さ4mの巨大な濠がみられます。南東側にも浅い濠があり、その間が通路状に途切れています。

古津八幡山遺跡
▲古墳山頂部
直径60mの削平地になっています。

古津八幡山遺跡では、弥生時代には四角い墓、古墳時代になると円い墓が造られました。
その規模も時代が新しくなるにつれて大きくなり、墓に埋葬された人物が、それだけ力を蓄えていった結果ではないかと考えられています。

古墳は周濠を掘って出た土を主に利用して造られ、中心部に小さな丘のような高まりを、外側に土手をつくり、その間を土で埋めて平にするといった作業を4回ほど繰り返して形作られています。
場所によって使用する土を選ぶなど、高い土木技術を持っていたことが、発掘により分かっています。つくり方は畿内の古墳と共通する点があり、畿内政権から技術者が派遣されて来ていた可能性も考えられるそうです。

古津八幡山遺跡
ムラを監視でき、眺めの良い丘陵の先端部に古墳があります。

古津八幡山遺跡
蒲原平野の王墓にふさわしく、新潟市街はもとより、弥彦山・角田山、信濃川・阿賀野川の河口付近、天気が良い日は佐渡まで見えるという、抜群の眺望になっています。

古津八幡山遺跡
▲古墳山頂で見るかった平安時代の溝(現地案内板より)
古墳頂上部も発掘が行われましたが、埋葬施設は確認されませんでした。頂上では一辺約11mの四角形にまわる溝が発見されています。
この溝は、西暦900年頃(平安時代)のもので、建物または墓に伴うものと考えられています。この溝を掘る際に山頂部が1m以上も大きく削平され、以前の埋葬施設が破壊された可能性があるそうです。

古津八幡山遺跡
▲弥生時代の環濠(右側は外環濠D、斜面下は外環濠A)
北向きから北西向き斜面の標高36~41mにかけてつくられた弥生時代後期の環濠です。北西に向かって緩やかに傾斜する環濠の断面は、浅いV字やU字をしています。
ここからは系統の異なる東北系、北陸系、2種類の土器が発見されており、各地域との交流の様子を物語っているかのようです。

古津八幡山遺跡
帰りは、歴史広場の西側に沿ってある散策路より下山。
途中、目の前に角田山がくっきりと見えるポイントがありました。

古津八幡山遺跡
丼:イテッ! 
その痛さを知ってからはしなくなっていたのに、飼い主に誘われて、久しぶりに毬栗と格闘するDawn太!

古津八幡山遺跡
山頂部で会わなかったと思ったら、こんなところに山羊小屋が!

古津八幡山遺跡
ケンタロウくん

古津八幡山遺跡
ひょっこり!つねこちゃん

犬を近づけないで!いたずらしないで!と、注意書きがされていました。

古津八幡山遺跡
また来てメェ~!

古津八幡山遺跡
山頂部には古墳時代の住居跡が発見されておらず、その集落は麓にあったのでは!?という話。
古津八幡山古墳を造った豪族の居館は、舟戸遺跡が有力とのこと。。。
また訪ねてみたい歴史発見になりました。

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