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如来堂と阿弥陀寺にて|会津

2009年09月21日

戊辰戦争関連
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今回の会津での「天地人」を巡る旅では、度々戊辰戦争の話に及びました。行く先々で、戊辰戦争を目の当たりにするものに出会ったからです。今回の話は「天地人」の旅のなか、偶然に見つけた話しの1つです。

新撰組殉難地

神指城址の土塁を探して歩いていると、そのうちの1つは新撰組殉難地とありました。

如来堂と阿弥陀寺

神指城址の二の丸土塁にあった、この如来堂を本陣にしていたのですね。

如来堂と阿弥陀寺

史跡碑の裏には、こう書かれています。
「戊辰の役 会津に来援の新撰組副隊長 土方歳三ら数百十名は白河口母成口等で防戦につとめ 九月四日にはこの如来堂の激戦で 隊長役 山口次郎らが大いに戦い十三名は華と散った」

如来堂と阿弥陀寺

本陣となった如来堂

こちらは、先の神指城址記事でも紹介した「如来堂」です。

如来堂と阿弥陀寺

慶応4年(1868年)9月4日 山口次郎(二郎)こと斎藤一ら新撰組隊士が守備したここ如来堂が新政府軍によって襲われ、隊士が全滅したとされる場所です。近藤勇亡き後、会津に入った土方歳三率いる新撰組は、母成峠の任となりますが西軍の攻撃の前に敗退しました。庄内へ援軍を求めて会津を離れようとする土方に対し、山口は会津藩主・松平容保への恩義から「今、落城せんとするのを見て、志を捨て去る、誠義にあらず」と会津に残留して徹底抗戦を主張しました。会津を去った土方とは対照的に、山口は20名(10数名ともいわれている)ばかりの隊士とともにこの地に宿陣していましたが、西軍の襲撃を受けて全滅したとされます。しかし、数名の隊士が乱戦のなかを脱出し、生存していました。ここ会津で隊長として新撰組を率いた山口においては会津藩が降伏開城した後、藩士とともに斗南藩に移り、苦渋をともにしたのち大正の世まで生き抜きました。

如来堂と阿弥陀寺

如来堂と阿弥陀寺

阿弥陀寺にて

如来堂と阿弥陀寺

こちらは鶴ヶ城記事で紹介した「阿弥陀寺」です。
ここには、先の新撰組の話に出てきた山口次郎(二郎)こと斎藤一(藤田五郎)の墓があります。

如来堂と阿弥陀寺

斎藤一は、弘文元年(1844年)御家人の父・山口佑助、母・マスの間に生まれました。初名を山口一、のちに斎藤一に改めました。
文久3年(1863年)壬生浪士組 のちの新撰組に参加し、副長助勤、三番隊隊長として活躍、沖田総司、永倉新八と並ぶ剣客で剣術師範も務めました。池田屋事件にも参戦。その後、伊東甲子太郎らが、御陵衛士(ごりょうえじ)を拝命し、新撰組から分離された時、伊東に同調して離脱、しかし局長の近藤勇の密令によるものといわれ油小路で伊東らが暗殺された後、新撰組に復帰し山口次郎(二郎)と改名。鳥羽伏見の戦いを経て、会津若松城に入り負傷した土方歳三に代わって新撰組隊長となり会津戊辰戦争を戦いました。
しかし、西軍が城下に迫った時「会津候(松平容保)あっての新撰組、会津を見捨てることは出来ない。」と隊士十数名と会津に残り、仙台へ向った土方と別れました。会津藩降伏後は一瀬伝八と名乗り越後高田に幽閉、明治3年斗南へ移る際、藤田五郎と改名。その後上京し警視庁に入り、容保の媒酌により会津藩士 高木小十郎の娘・ 時尾(ときお)と結婚します。警視庁においては西南戦争へ出陣するなど活躍。その後、東京教育博物館等へ奉職し、大正4年(1915年)72歳で逝去。
以後、半生を会津人として生きた本人の希望により、阿弥陀寺に眠っているそうです。

お墓のある阿弥陀寺も、戊辰戦争悲しみを残す場所でもあります。
阿弥陀寺は、慶長8年(1603年)蒲生秀行の時代、下野国に生まれた良然(りょうねん)が開山しました。
明治元年の戊辰戦争後、会津藩戦死者の遺骸は、西軍の命で放置されたまま、さわることを許されませんでした。幾度もの嘆願によって埋葬が許可されたのは、翌2年2月の事でした。埋葬地は 阿弥陀寺と長命寺の2カ所のみでした。阿弥陀寺には、千三百柱にものぼる遺骸が埋葬されました。春・秋の彼岸には手厚い供養会が行われています。

鶴ヶ城御三階

会津鶴ヶ城

元は、鶴ヶ城の本丸にあった御三階です。
明治3年にここに移され、戊辰戦争の戦火により本堂を焼失したため、長い間本堂として使用されて来ました。浄土宗の開宗800年記念にあたり寺院を改築、現在の堂宇が完成しているそうです。

こちらは境内の立て看板にあった写真です。

如来堂と阿弥陀寺

阿弥陀寺の入口に、写真のように大仏様がありましたが、太平洋戦争で供出され、今では台座が残るばかりです。

如来堂と阿弥陀寺

戦没者の供養塔もありました。

如来堂と阿弥陀寺

1つの歴史を追って行った旅で、また違う歴史にも興味を持った。。。そんな会津の旅でした。
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そふぃあ
Posted by そふぃあ
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