金刀比羅神社(西厩島町)|にいがた下町神社巡り
2011年09月18日
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明治30年代から大正にかけ、夜市や映画館など、庶民の楽しみの場として新潟一の繁華街だったという「こんぴら通り」に鎮座し、通りの名前もこの神社に由来しています。
明治以前は古町十一番町の大楽院内にあった神社でしたが、明治2年(1869年)現在地に遷されました。海上安全の守護神として信仰され「島のコンピラさま」としても親しまれています。

印象的な赤い鳥居を潜ると、その両脇には、年月により顔の落ちてしまった狛犬が2対。これも、湊町が栄えていた時代に奉納されたものなのでしょう。


狛犬の奥にある白い建物(収蔵庫)には、国指定有形文化財の “模型和船” が納められています。
海上安全祈願のため、船主や船頭が持ち船の模型を奉納したもので、嘉永5年(1852年)から明治24年(1891年)にかけて奉納された28点の北前船の模型が奉納されているそうです。
北前船の模型は、細部まで精巧に作られていて、その船腹や船底には、船名、奉納年月日、奉納者名などが墨書されています。当時の海運、造船技術、新潟湊の繁栄の様子を知る上で貴重なものです。(要予約にて見学することも出来ます。)

国の文化財指定を受ける以前は、帆をたたみ、拝殿の天井に吊るして飾ってあったそうです。何とも大胆な事でしたね。
訪問日:2011年8月18日(木)
明治以前は古町十一番町の大楽院内にあった神社でしたが、明治2年(1869年)現在地に遷されました。海上安全の守護神として信仰され「島のコンピラさま」としても親しまれています。

印象的な赤い鳥居を潜ると、その両脇には、年月により顔の落ちてしまった狛犬が2対。これも、湊町が栄えていた時代に奉納されたものなのでしょう。


狛犬の奥にある白い建物(収蔵庫)には、国指定有形文化財の “模型和船” が納められています。
海上安全祈願のため、船主や船頭が持ち船の模型を奉納したもので、嘉永5年(1852年)から明治24年(1891年)にかけて奉納された28点の北前船の模型が奉納されているそうです。
北前船の模型は、細部まで精巧に作られていて、その船腹や船底には、船名、奉納年月日、奉納者名などが墨書されています。当時の海運、造船技術、新潟湊の繁栄の様子を知る上で貴重なものです。(要予約にて見学することも出来ます。)

国の文化財指定を受ける以前は、帆をたたみ、拝殿の天井に吊るして飾ってあったそうです。何とも大胆な事でしたね。
訪問日:2011年8月18日(木)
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