湊稲荷神社|にいがた下町神社巡り
2011年09月29日
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みなとぴあの正面から、右手の道を真っ直ぐ進んだ先に、こんもりとした樹木に囲まれた神社があります。享保元年(1716年)の創立と伝わる湊稲荷神社です。
湊に入る船は、この神社の森を目当てにしたといわれ、今でも、海運、漁業関係者からの信仰を集めています。

鳥居を潜ると、「願掛け高麗犬」と呼ばれる狛犬がいます。この神社の花崗石で出来た高麗犬は中心に軸が通り、台座と石像の間にはあそびがあり、像が回転するようになっています。

たくさんの船が行き交い、新潟湊が賑わっていた頃、上陸した船乗りたちは花柳界に遊び、その夜、遊女に送られて船に帰るのが常でした。船出に際し、遊女はその別れを惜しみ、密かに高麗犬を回しその頭を西に向け、西風が吹き、湊口が荒れ、海が時化て出帆出来ず、その夜、再び船乗りが遊びに来てくれる事を祈願したといいます。
湊稲荷神社は “道楽稲荷さま” という通称もあり、この由来も、遊女たちの願掛けの信仰からきたものだといわれています。
「下(しも)の新地の道楽稲荷 俺も2、3度だまされた。」 とうたわれ、遊女たちの「荒天祈願」が始まりとなり、現在では「高麗犬を回して願掛けをする。」という習俗に変化し、伝わっています。
男性は右側の高麗犬を、女性は左側の高麗犬を回しながら願掛けをするのだそうです。
まだ新しく見える高麗犬は、平成7年(1995年)に造られたものです。

高麗犬のすぐ後ろには、笑顔が印象的(!?)なおキツネさまも控えています。

これは「足止めのおキツネさま」 とでも呼んだらいいのかな?このおキツネさまの足に紐がくくられています。後の記事に登場する神社では、狛犬さまの足に紐がくくられていました。これも願掛けの一種で、足止めしたい相手によって右、左のおキツネさまの足に紐を結び、願うものだと思われます。
前川三城が神託により、出羽国米沢より享保元年に遷座し建立した神社。倉稲魂神を主神とし、大己貴神、大宮能売神、保食神、太田神の4柱を合祀しています。
平成18年頃に拝殿の塗り直し作業がされているので、まだ新しいように見えますが、中に入ると歴史を感じます。

現在現役の高麗犬とは別に、ここにも高麗犬が祀られていますが、こちらが新潟市指定第一号 有形民俗文化財に指定されている先代の 願掛け高麗犬 です。
嘉永7年に奉納されたもので、140年の長い歳月風雪にさらされ、願掛けのために頻繁に回されていたので損傷が激しく、このままでは貴重な文化財としての価値が失われかねないと、保存のため収納庫に納め、拝殿内に安置されたのだそうです。

境内には、新潟証券取引所から遷された豊光稲荷大神も祀られています。

新潟証券取引所の前身であった新潟米穀取引所が、昭和9年11月に上大川前10番町にビル新築の際、京都の伏見稲荷大社から御分霊を勧請しビル屋上に奉納しますが、その後の上大川前通り8番町の新ビル移転に伴い、昭和62年12月には鎮座祭が執り行われました。以来、65年にわたり証券業界の守護神として信仰を受けて来ましたが、平成12年の新潟証券取引所の閉鎖に伴い、平成11年11月5日 湊稲荷神社の一角に遷されたのだそうです。
訪問日:2011年8月18日(金)
湊に入る船は、この神社の森を目当てにしたといわれ、今でも、海運、漁業関係者からの信仰を集めています。

鳥居を潜ると、「願掛け高麗犬」と呼ばれる狛犬がいます。この神社の花崗石で出来た高麗犬は中心に軸が通り、台座と石像の間にはあそびがあり、像が回転するようになっています。

たくさんの船が行き交い、新潟湊が賑わっていた頃、上陸した船乗りたちは花柳界に遊び、その夜、遊女に送られて船に帰るのが常でした。船出に際し、遊女はその別れを惜しみ、密かに高麗犬を回しその頭を西に向け、西風が吹き、湊口が荒れ、海が時化て出帆出来ず、その夜、再び船乗りが遊びに来てくれる事を祈願したといいます。
湊稲荷神社は “道楽稲荷さま” という通称もあり、この由来も、遊女たちの願掛けの信仰からきたものだといわれています。
「下(しも)の新地の道楽稲荷 俺も2、3度だまされた。」 とうたわれ、遊女たちの「荒天祈願」が始まりとなり、現在では「高麗犬を回して願掛けをする。」という習俗に変化し、伝わっています。
男性は右側の高麗犬を、女性は左側の高麗犬を回しながら願掛けをするのだそうです。
まだ新しく見える高麗犬は、平成7年(1995年)に造られたものです。

高麗犬のすぐ後ろには、笑顔が印象的(!?)なおキツネさまも控えています。

これは「足止めのおキツネさま」 とでも呼んだらいいのかな?このおキツネさまの足に紐がくくられています。後の記事に登場する神社では、狛犬さまの足に紐がくくられていました。これも願掛けの一種で、足止めしたい相手によって右、左のおキツネさまの足に紐を結び、願うものだと思われます。
前川三城が神託により、出羽国米沢より享保元年に遷座し建立した神社。倉稲魂神を主神とし、大己貴神、大宮能売神、保食神、太田神の4柱を合祀しています。
平成18年頃に拝殿の塗り直し作業がされているので、まだ新しいように見えますが、中に入ると歴史を感じます。

現在現役の高麗犬とは別に、ここにも高麗犬が祀られていますが、こちらが新潟市指定第一号 有形民俗文化財に指定されている先代の 願掛け高麗犬 です。
嘉永7年に奉納されたもので、140年の長い歳月風雪にさらされ、願掛けのために頻繁に回されていたので損傷が激しく、このままでは貴重な文化財としての価値が失われかねないと、保存のため収納庫に納め、拝殿内に安置されたのだそうです。

境内には、新潟証券取引所から遷された豊光稲荷大神も祀られています。

新潟証券取引所の前身であった新潟米穀取引所が、昭和9年11月に上大川前10番町にビル新築の際、京都の伏見稲荷大社から御分霊を勧請しビル屋上に奉納しますが、その後の上大川前通り8番町の新ビル移転に伴い、昭和62年12月には鎮座祭が執り行われました。以来、65年にわたり証券業界の守護神として信仰を受けて来ましたが、平成12年の新潟証券取引所の閉鎖に伴い、平成11年11月5日 湊稲荷神社の一角に遷されたのだそうです。
訪問日:2011年8月18日(金)
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