開運稲荷神社|にいがた下町神社巡り
2011年10月09日
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日和山にある住吉神社から、さらに下に行くとあるのが開運稲荷神社です。
宇迦之御魂大神、大国主命、恵毘須の3神を祀り、全国でたった1つの「運を開く」神社だそうです。

参道には、「こんこん様」 と呼ばれる1対の狐の石像があります。

明治の初め、出雲国(島根県)の回船が越後の米を買うため新潟にやって来ます。その時、往路は空船で船が安定していないため、出雲石をおもりとして船に積み込んで来ました。「こんこん様」は、この石を狐の像にして神社に奉納したものだと言われています。
この神社の付近には、かつて遊郭があり、そこの遊女の中には好みの客が逃げないよう、「こんこん様」の足を麻糸で縛って祈ったものもあるそうで、先に見て来た湊稲荷神社、金刀比羅神社(寄合町)で見たもの にも同じ意味があったのかも知れません。
こんこん様の両手を撫で、それを額にあてておまじないをかけお参りすると、ご利益を頂けるのだそうです。

開運稲荷神社は、慶安2年(1649年)関屋にあった長岡藩の蔵所(米蔵)の守り神として祀られたのが始まりといわれています。最初は 野手稲荷神社 と名乗っていましたが、天明7年(1787年)に蔵所が白山神社近くに移転すると、後にこの神社も移転して 開運稲荷神社 と名を改めます。その後、明治7年(1874年)になると蔵所は撤去されてしまいます。
神社は、明治10年(1877年)現在地に移り、大黒様と恵比寿様を一緒に祀るようになりました。今でも、商業、漁業、海運、倉庫業に関係する人たちから、厚く信仰されています。

鳥居の脇には湊の水先案内をした、日和山の住吉神社を拝む石段が残されています。現在では、周囲に高い建物が増え、石段に上がっても住吉神社は見えないです。

日和山の住吉神社から始まり、ここまで紹介した全7社には「下町神社めぐり」のスタンプが置かれていて、1つ1つを探しながらお参りし、スタンプを押して次なる神社の散策を楽しめます。

ただの神社巡りだと、子どもにはあまり楽しいものではないでしょうが、スタンプラリー1つで、ちびも一生懸命に神社巡りしてくれました。
訪問日:2011年8月18日(金)
宇迦之御魂大神、大国主命、恵毘須の3神を祀り、全国でたった1つの「運を開く」神社だそうです。

参道には、「こんこん様」 と呼ばれる1対の狐の石像があります。

明治の初め、出雲国(島根県)の回船が越後の米を買うため新潟にやって来ます。その時、往路は空船で船が安定していないため、出雲石をおもりとして船に積み込んで来ました。「こんこん様」は、この石を狐の像にして神社に奉納したものだと言われています。
この神社の付近には、かつて遊郭があり、そこの遊女の中には好みの客が逃げないよう、「こんこん様」の足を麻糸で縛って祈ったものもあるそうで、先に見て来た湊稲荷神社、金刀比羅神社(寄合町)で見たもの にも同じ意味があったのかも知れません。
こんこん様の両手を撫で、それを額にあてておまじないをかけお参りすると、ご利益を頂けるのだそうです。

開運稲荷神社は、慶安2年(1649年)関屋にあった長岡藩の蔵所(米蔵)の守り神として祀られたのが始まりといわれています。最初は 野手稲荷神社 と名乗っていましたが、天明7年(1787年)に蔵所が白山神社近くに移転すると、後にこの神社も移転して 開運稲荷神社 と名を改めます。その後、明治7年(1874年)になると蔵所は撤去されてしまいます。
神社は、明治10年(1877年)現在地に移り、大黒様と恵比寿様を一緒に祀るようになりました。今でも、商業、漁業、海運、倉庫業に関係する人たちから、厚く信仰されています。

鳥居の脇には湊の水先案内をした、日和山の住吉神社を拝む石段が残されています。現在では、周囲に高い建物が増え、石段に上がっても住吉神社は見えないです。

日和山の住吉神社から始まり、ここまで紹介した全7社には「下町神社めぐり」のスタンプが置かれていて、1つ1つを探しながらお参りし、スタンプを押して次なる神社の散策を楽しめます。

ただの神社巡りだと、子どもにはあまり楽しいものではないでしょうが、スタンプラリー1つで、ちびも一生懸命に神社巡りしてくれました。
訪問日:2011年8月18日(金)
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