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礎公園と大円寺公園

2011年10月14日

湊町探訪
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安政5年(1858年)に修好通商条約で新潟が湊場の1つとしてあげられ、明治元年(1868年)に新潟湊が開港し、翌年に新潟運上所が建設されると、これを機に、明治初期の町並みの改正が始まって行きます。
江戸時代中期なり、町の東に寄りついた中州は “島” と呼ばれ、秣島、榛島、上島、下島などが次々にでき、島は新しい土地となり開発が進んで行きました。
宝暦8年(1758年)の飢餓による不況対策として、“上島” “下島” の開拓が始まります。“榛島”には梨の木が多く植えられたため、“梨島” とも呼ばれていてました。榛島(はんのきじま)=梨島とは、現在の礎町の事です。
“秣島” “榛島(はんのきじま)”は、明治時代に新潟県令となった楠本正隆(明治5年5月から 明治8年11月まで県令として在任) の主導の下、開化の町の模範として、宅地開発が進められていきます。
お屋敷町には大きな道路が整備され、その時に出来たのが礎町通です。

礎公園

明治6年(1873年)の太政官布達により、楠本県令時代に日本初の国立市民公園である “白山公園” が開設されます。
それに遅れること半世紀。大正12年(1924年)になると、礎町には白山公園に次ぎ、新潟では2番目となる市民公園の整備が始まります。

礎公園と大円寺公園

この場所は、明治天皇が新潟巡幸の折、ご宿泊所となった 白勢成煕氏 の別邸があった場所でもあります。裕仁皇太子(後の昭和天皇)ご成婚記念として、別邸跡を公園に定め、大正13年1月26日に竣工し、“礎公園” と命名します。昭和12年頃の新潟を描いた「新潟市鳥瞰図」を見ても、礎公園の名に並び“明治天皇行在所” の文字が確認出来ます。

公園内には2つの記念碑が建てられています。1つは裕仁皇太子(昭和天皇)の結婚記念の碑。もうひとつは、明治11年(1878年)9月16日明治天皇北陸巡幸を記念して建てられた石碑です。

礎公園と大円寺公園

その後の礎公園は、昭和29年(1924年)5月、公園の一部に礎保育園が開園し、昭和61年(1986年)7月、公園内にプールが設けられ、礎小学校のプールにも使用されました。

礎公園と大円寺公園

平成10年3月に礎小学校が閉校となり、平成14年5月に柳都大橋が開通し、公園の周囲も大きく変わります。平成14年12月から公園内のプールを取り去り、緑地のある公園に修復しました。
今では柳都大橋が出来てしまい、公園の大きさも当初の半分以下で存在するのみです。

訪問日:2011年9月17日(土)

大円寺公園

礎公園から、徒歩僅か数分程度の距離にある「大円寺公園」です。
「ドン山」 の記事を書いた際、大正13年まで時を知らせるために活躍した“ドン”は、その後、保存のため白山公園に移され、さらにそれ以降はここ、大円寺公園に移設され、昭和18年に戦争のため姿を消すまで大切に保存された事を知りました。
今でも何かその証となるものがあるのかと思い、訪ねて来てみましたが、柵で囲われただけの、小さな空き地があるだけでした。

礎公園と大円寺公園

ドンが保管されていた場所という予備知識しかなかった私でしたが、実はこの大円寺堀跡地には “時報塔” があったのだそうです。「新潟市鳥瞰図」に、この時報塔の文字も見えます。
報時塔は礎公園と同じく、大正13年(1924年)の裕仁皇太子(後の昭和天皇)ご成婚記念として建てられたもので、消防の望楼と報時を目的とし、鉄筋コンクリート製で、高さは30.66mの塔だったそうです。
正午と午後8時の1日2回(後に午前6時も加わり日に3回)圧縮空気による汽笛で「ボーッ」と鳴らし、遠く赤塚や濁川まで聞こえたと言います。汽笛による報時は昭和18年(1943年)まで行われ、戦時中は空襲警報としても用いられました。
昭和36年(1961年)塔の老朽化のため解体されています。

私の手元には、資料に載った小さな写真しかないので、ネットで探してみると、当時の様子がはっきりと分かる記事に出会いました。私の写した公園写真の奥地に、この時報塔が建っていたわけですが、その両脇には、初代、2代目のドンが置かれているのが見えます。
次世代の時を告げるアイテム、時報塔 が設置されたため、お役目を終えたドンはこの場所に移され、保存されていたというわけだったのですね。

大円寺公園

貞享4年(1687年)(元禄14年|1701年という説もあり)現在の第四銀行本店のところにあった町会所の中の和時計をもとに、2時間毎に打ち鳴らす鐘で時を知りました。明治6年(1873年)になると、旧暦から新暦に改められた事を契機に、この年の6月15日から寄居砂山(現在の旧新大理学部跡)の白御影石を積んで木柵を巡らした小高い丘の上に六角形の白い番小屋と車輪の無い大砲を据え付け、空砲を打って正午を知らせました。
そして、大正13年(1924年)皇太子(昭和天皇)御成婚記念に時報塔を設置し新潟の町は 「カ~ン」→「ド~~ン」→「ボーッ」と響きを変え、場所をながら時を知る事になります。
時報塔は無くなり、その音を聞く事もありませんが、古写真に写る木々が成長している様子を見るにつけ、時代の移り変わりを実感せずにはいられませんでした。

公園の敷地を含め、この辺は北新堀が通っていた場所でもあります。

礎公園と大円寺公園

公園脇のこの道路から突き当たりを横断する道路が、他門川の名残りであると思われます。他門川を挟み、こちら側がお屋敷町だった “秣島” と “榛島” 、そして向こう側には金刀羅神社があり、娯楽の町だった “厩島” です。

礎公園と大円寺公園

訪問日:2011年8月27日(土)
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そふぃあ
Posted by そふぃあ
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