三度栗|考順寺
2011年12月22日
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お邪魔したのは、阿賀野市保田にある 考順寺 。

お寺の標柱にも “焼栗山” の文字があるので、県内の人だったら、ピンとくる人も多いでしょう。親鸞聖人にまつわる越後七不思議のひとつ “保田の三度栗” でも有名なお寺です。

焼栗山 考順寺 は真宗 大谷派 の寺院で、当初は専念寺と称し、以後、願成寺、長福寺、本詳寺と変わり、江戸時代中期に現在の孝順寺となりました。現在の寺域と建物は、かつて越後千町歩地主の一人であった斉藤家の邸宅ですが、第二次世界大戦後の農地改革で国に物納されたもので、それを寺が競売にて取得し、昭和25年ここに遷座しています。昭和初期を代表する貴重な建築物が御本堂です。
他県にもある三度栗の伝説は、弘法大師ゆかりの話が多いですが、我が県に伝わるのは親鸞聖人ゆかりの話です。

親鸞聖人が保田の地を訪れた際、信徒の老女が捧げた焼き栗をまき「我が勧むる弥陀の本願、末世に繁昌いたさば、この栗、根芽を生じて一年に三度咲き実るべし。葉は一葉にして二葉に分かれて繁茂せよ」と仏法を説いたところ、焼き栗は芽を出し、年に三度花を咲かせ、その葉の先は二つに分かれて茂ったといいます。

当時の三度栗の木は枯れてしましたが、現在は若木が育ったものが見られます。
現在でも、年に3度花を咲かせているそうです。

訪問日:2011年9月19日(月)

お寺の標柱にも “焼栗山” の文字があるので、県内の人だったら、ピンとくる人も多いでしょう。親鸞聖人にまつわる越後七不思議のひとつ “保田の三度栗” でも有名なお寺です。

焼栗山 考順寺 は真宗 大谷派 の寺院で、当初は専念寺と称し、以後、願成寺、長福寺、本詳寺と変わり、江戸時代中期に現在の孝順寺となりました。現在の寺域と建物は、かつて越後千町歩地主の一人であった斉藤家の邸宅ですが、第二次世界大戦後の農地改革で国に物納されたもので、それを寺が競売にて取得し、昭和25年ここに遷座しています。昭和初期を代表する貴重な建築物が御本堂です。
境内に建つ 三度栗の石碑


他県にもある三度栗の伝説は、弘法大師ゆかりの話が多いですが、我が県に伝わるのは親鸞聖人ゆかりの話です。

親鸞聖人が保田の地を訪れた際、信徒の老女が捧げた焼き栗をまき「我が勧むる弥陀の本願、末世に繁昌いたさば、この栗、根芽を生じて一年に三度咲き実るべし。葉は一葉にして二葉に分かれて繁茂せよ」と仏法を説いたところ、焼き栗は芽を出し、年に三度花を咲かせ、その葉の先は二つに分かれて茂ったといいます。

当時の三度栗の木は枯れてしましたが、現在は若木が育ったものが見られます。
現在でも、年に3度花を咲かせているそうです。

訪問日:2011年9月19日(月)
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