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秋葉三尺坊大権現|長岡市栃尾

2012年11月04日

越後に残る名匠の技
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越後のミケランジェロ、石川雲蝶を訪ねる旅。秋葉三尺坊大権現(秋葉神社)にお邪魔しました。
こちらは以前、上杉謙信を巡る旅の際にもお邪魔した事がある神社です。

天文20年(1551年)常安寺の守護神として上杉謙信公が岩野蔵王堂からこの地に鎮座したと伝えられ、遠州秋葉山と共に秋葉信仰の二代霊山の1つとして有名な場所です。

秋葉三尺坊大権現奥の院に残る雲蝶と源太郎の共同作品

秋葉三尺坊大権現

長岡市指定の重要文化財にもなっている秋葉三尺坊大権現(秋葉神社)の奥の院に、雲蝶作品があります。外側の瓦葺の建物は “鞘堂” と呼ばれ、奥の院を守るための建物です。現在は金網越しでの見学しか出来ませんが、それでも作品の迫力は強く伝わって来ます。

奥の院は、全て欅材で造られていて、屋根は一重切妻造り、檜皮葺(ひわだぶき)となっています。

秋葉三尺坊大権現

向拝真正面には “子引き龍”
向拝の豪華さ、迫力は、開山堂の向拝に負けず劣らす圧倒されるものがあります。

秋葉三尺坊大権現

それもそのはず。ここにある彫刻は、雲蝶と小林(熊谷)源太郎の2人により、安政年間(1854~1859年)に8年もの歳月を掛けて彫られたものです。(雲蝶40歳頃・源太郎55歳頃の作品)

奥の院の腰長押と内法長押の間には、厚さ24㎝の欅の1枚板をはめ込み、東・南・西の3方向に、烏天狗の物語が活き活きと、躍動的に彫り込まれている様子が見られます。「三尺坊」とは“大天狗”のことだそうで、これにちなみ“烏天狗”を彫ったと言われています。

秋葉三尺坊大権現

東側

烏天狗の酒宴

秋葉三尺坊大権現

秋葉三尺坊大権現

南側

大天狗の前で烏天狗と若武者(牛若丸)の試合

秋葉三尺坊大権現

秋葉三尺坊大権現

西側

烏天狗の敗北の図

秋葉三尺坊大権現

秋葉三尺坊大権現

2人の共作なので、獅子の表情にも個性が見られます。

秋葉三尺坊大権現

秋葉三尺坊大権現

手狭には“鷹”や“龍”などが彫り込まれていて、飛び出して来そうな躍動感があります。

秋葉三尺坊大権現

秋葉三尺坊大権現

おしまいに

秋葉神社が火防の神ということから、波の上に物語が展開しているところも見どころの一つです。土台から破風に至るまで、見事な彫刻で埋め尽くされているのは、さすが、越後の2トップの共作ならではでしょう。
しかしよく見るとこの奥の院、脇障子の枠はあるのに、そこにあるべき彫刻がありません。脇障子が未完の理由として、2人が喧嘩別れしてしまったから…という説もあるようです。

私が訪ねた作品の中でも、同じ場所に2人の作品を一緒に見られる場所が何箇所かありましたが(龍谷寺・西福寺 など)、しかしこんな風に同じ作品を一緒に作ったというものはなかなか無く、よきライバルは、仕事の上での方針や私生活も全く違ったため、ぶつかる事も多かったのでしょうね。

それはさて置き「隅から隅まで抜かりが無い!という印象で、見上げるほどに溜息が出る奥の院の彫刻でした。

訪問日:2012年8月27日(月)
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そふぃあ
Posted by そふぃあ
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