本徳寺|燕市
2012年12月23日
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越後のミケランジェロ、石川雲蝶を訪ねる旅。燕市は米納津にある 法華宗のお寺 本徳寺にお邪魔しました。




この躍動感溢れる獅子が制作されたのは、天保14~15年(1843~44年)頃と言われていて、雲蝶30歳の頃の作品です。
一方の獅子には 「源雲蝶」 の刻銘があり、一般的には32歳の時に永林寺(現・魚沼市)の22世・円応弁成和尚の招きで越後に入ったと伝えられていて、雲蝶の越後入りを究明するうえで極めて貴重な記録でもあります。

今まで、雲蝶作品のあるお寺といえば、その全てが曹洞宗のお寺さんでしたが、今回初めて法華宗のお寺さんです。
本徳寺に隠居していた普及坊 日念聖人が、総本山である本成寺で仕事をしていた雲蝶に依頼したと言われています。
後に、酒井家の婿養子となり、本成寺が菩提寺となる雲蝶ですが、早い時期から法華宗のお寺ともご縁があり。しかし、人生の大半の作品は曹洞宗のお寺で残し、最後は再び法華宗のご縁と共に眠りにいついた。。。そんな一生だったのですね。
訪問日:2012年8月29日(水)

本徳寺向拝に残る雲蝶作品
向拝に、雲蝶作品が残されています。
吽形・獅子鼻

阿形・獅子鼻

この躍動感溢れる獅子が制作されたのは、天保14~15年(1843~44年)頃と言われていて、雲蝶30歳の頃の作品です。
一方の獅子には 「源雲蝶」 の刻銘があり、一般的には32歳の時に永林寺(現・魚沼市)の22世・円応弁成和尚の招きで越後に入ったと伝えられていて、雲蝶の越後入りを究明するうえで極めて貴重な記録でもあります。

手狭・波と亀
おしまいに
若くして江戸彫石川流の彫物師として名を挙げた雲蝶。30歳の頃の作品を見ても、円熟期の作品に劣らないものがあるように感じました。今まで、雲蝶作品のあるお寺といえば、その全てが曹洞宗のお寺さんでしたが、今回初めて法華宗のお寺さんです。
本徳寺に隠居していた普及坊 日念聖人が、総本山である本成寺で仕事をしていた雲蝶に依頼したと言われています。
後に、酒井家の婿養子となり、本成寺が菩提寺となる雲蝶ですが、早い時期から法華宗のお寺ともご縁があり。しかし、人生の大半の作品は曹洞宗のお寺で残し、最後は再び法華宗のご縁と共に眠りにいついた。。。そんな一生だったのですね。
訪問日:2012年8月29日(水)
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