attention admin about comments trackbacks you may also like

本成寺(雲蝶菩提寺)|三条市

2013年04月20日

越後に残る名匠の技
-
越後のミケランジェロ、石川雲蝶を訪ねる旅。現在公開されている作品の最後になるのは、三条市にある本成寺です。

石川雲蝶の菩提寺である法華宗の総本山本成寺

本成寺は、永仁5年(1297年)日印聖人によって開かれた法華宗の総本山で、江戸時代には大いに栄えたお寺さんです。
節分の時期になると我が家も度々お邪魔する、“鬼おどり”で有名なお寺さんが雲蝶の菩提寺です。

総本山らしい立派な赤門

本成寺

水門

本成寺

ご本堂

本成寺

今回の写真の中にはありませんが、このお寺の黒門が三条城の移築城門ということで、城址見学の際にも来たお寺です。周囲にはお堀跡と思われる水路が残り、城郭のような造りになっているお寺さんです。

火災によって焼失してしまった本堂の雲蝶作品

現在の本成寺向拝の様子

本成寺

石川雲蝶は三条に移り住んだ後、本成寺の本堂や塔頭寺院に数々の作品を残しました。しかし、度重なる火災により、そのほとんどが焼失してしまいました。

本成寺

本成寺

本堂内の様子

本成寺

火災前は、本堂を埋め尽くすようにある欄間にも木鼻も、すべて雲蝶の作品だったと思われます。現在は、宝物殿に牛や亀の置物が残されています。

本成寺

塔頭に残る雲蝶作品

本成寺にあった作品は火災により焼失していますが、塔頭の門や向拝には、雲蝶の作品が残されています。今年の節分“鬼おどり”の日に見に行っていますが、雪囲いがあり写真に出来ませんでしたので、改めて出掛けてみました。

塔頭1の向拝彫刻

本成寺

こちらには、向拝に雲蝶の彫刻が残されています。

本成寺

≪獅子鼻≫

本成寺

雲蝶の獅子鼻作品もこれで見納め。
細部まで丁寧で迫力ある彫刻を、たまにはこんなアングルで!

本成寺

≪老人と鯉≫

雲蝶が37歳の時の作品です。本を読む老人と鯉が彫られています。老人が読んでいる本には、制作年号と雲蝶の刻銘があり、雲蝶らしい遊び心が伺えます。

本成寺

塔頭2の門彫刻

本成寺

こちらはまた別のお寺。珍しい門彫刻が残されています。

≪飛龍≫

左右に1対ずつ、合計で4つの飛龍の彫刻が施されていました。

本成寺

本成寺

左:龍の尻尾|右:爪もリアルに

本成寺

本成寺にある雲蝶の墓

酒井家の菩提寺でありますので、本成寺本堂裏の墓地には雲蝶のお墓が存在しています。

本成寺

石川雲蝶は、本名を石川安兵衛といい、文化11年(1814年)江戸雑司ヶ谷(現在の東京都豊島区)に生まれ、仏壇などを彫りながら、若くして江戸彫石川流の彫物師として名を挙げ、苗字帯刀を許されていました。20代で幕府御用勤めになり「石川安兵衛源雲蝶」を名乗ります。
三条の金物商で、本成寺の世話役だった内山又蔵との出会いから、本成寺の欄間や納骨堂の彫刻を依頼されて三条を訪れ、その才能を発揮したと言われています。「良い酒と鑿を生涯与える」という言葉が決め手だったとも。四ノ町(現・本町6丁目)の酒井弥助に見込まれ、内山氏の世話で婿養子となり、越後人となります。 金物の町・三条を拠点として、越後各地に傑作を残しました。「酒好き」で「女好き」、「興が乗らなければ鑿を握らなかった」未完の作品にいたっては、「女でもめて追い出された」「相棒と喧嘩別れした」など、様々に言われていますが、仕事の合間に子どもが遊びに来ると、その子に彫り物をこしらえてあげたなど、優しい部分も語られています。
また、作品を見て感じるのは、「仕事の鬼」的な部分を持ち合わせていること。大胆な構図の中に、緻密に計算されて彫られた作品は毎回息を呑むような衝撃があります。
菩提寺であった本成寺が火災に遭っているため、写真や記録なども無く、江戸での製作記録も確認出来ていないため、越後に数千点残された作品だけが雲蝶を知る手掛かりとなっています。
石川雲蝶は、明治16年(1883年)、ここ三条の地で69歳の生涯を閉じ、本成寺の墓地で静かに眠っています。

訪問日:2012年8月27日(月)
塔頭訪問日:2013年4月6日(土)
関連する記事
そふぃあ
Posted by そふぃあ
ご訪問ありがとうございます。管理人の体験談を心のままに綴ったブログです。
話題に時差あり、脱線もあり、時に辛口意見もございます。
私感強めな内容ですが、長年積み上げてきた情報満載!何かのお役に立てたなら幸いです。
※撮影した写真の著作権は放棄しておりません。画像のお持ち帰りは固くお断りいたします。

更新通知で新しい記事をいち早くお届けします