岩野城址|長岡
2013年10月20日
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岩野城
岩野城は、東西に連なる曽地丘陵の尾根上、標高165mに位置し、別名を水梨城といいます。城の特徴などから、永正~天文年間(1504~1555年)頃に築かれたと考えられ、刈羽郡へと通じる薬師峠道の往来を監視したと思われます。この城には、はじめ加藤左京太夫、のちに上杉家の家臣・黒川備前守が在城していたと伝えられています。
岩野城址散策

園内案内図

案内図を見てもお分かりのとおり、岩野城址は現在「雪国植物園」になっており、入場料を払っての登城。なのに山頂部の僅かにしか、当時の面影を窺い知る事が出来なくなっています。
園内図の赤丸で囲んである場所で彼岸花の撮影をした後は、→で記した順路で山頂部へと向いました。(36→35→31→30→28→27→23→22→C→実城20)
植物鑑賞のため、山頂へ向う道も迷路のようになって数多く整備されていますので、当時は何処が大手道だったのかも不明です。
左:公園内 平地部|右:平地部にある湿地帯

私たちが通過した道も、現在は管理用通路になっているようで道幅も拡張されていますが。。。土橋っぽい箇所

土塁っぽい箇所 土塁(?)の向かいには堀底道(?)の箇所も

初めての場所、しかも入園時間が決められているため、案内表示の番号を見逃さないよう、道を迷わないように進みます。

平地部分では、あんなに入園者が多かったのに、花の無い時期、こんな山の上までは誰も人も来ないようですね。
何処まで登ればいいのだろう。。。と、ちょっと心細くなりかけた頃、城址案内を見つけてホッとしました。(No23通過付近)
左:城址案内入ってすぐの城道|右:No22付近にあった竪堀

左:見上げた斜面とつづら折の城道|右:登り切った付近から 山頂郭郡が始まる

見える郭は段郭なのか?切り岸らしいものが見えていて、道は二手に分かれてありました。(写真左側にもう一方の通路あり)

先頭を歩いていた私が、道の選択があると西へ西へと選択していたのですが、旦那からの「段々遠ざかってるんじゃないの?」の指摘どおり、あとで思うと、こちら側は搦手だったかも。。。
この辺から反対の道(東へ向う)を選択するのが大手への通路かも知れません。(???)
左:No21に再び案内板|右:案内板奥は帯郭(第二郭)

左:通路右手に郭|右:Cに至る道

左:案内図Cにある腰郭|右:段郭が続く実城への道

実城到着


Cの腰郭から、数段になった郭状の上を通り、ほぼ真っ直ぐ平入りで実城はありました。

左:コの字型の土塁|右:道祖神+塚+土塁

実城部は、緩く上下2段になって形成されていて、上部の塚が祀られた周囲に見られるコの字型の土塁は、狼煙台の土台とみられます。ここから、薬師峠を監視していたのでしょう。
岩野城は、小木ノ城の支城であったともいわれていて、実城からは、小木ノ城山も望むことが出来ますが、丁度、目の前の木が邪魔していて。(~_~;)

左:実城下段部の様子|右:実城下にある帯郭(第二郭)

実城内を見学してみて塚の置かれた向きからも、やはり、来た道は搦手道だったのだと思いました。
改めて、実城下段部分の郭入り口に立ち実城全体の様子を見ると、複雑な動線の様子や、現在の宮本三丁目の辺りには城の館があったことからも、そちらに向いた道を大手と考えるのが筋でしょうね。

大手道はどんな風に実城に繋がっていたのか?確かめながら道を下ってみました。
全様がわかり、改めて城道を歩いてみると、あっという間に城址案内板のあった場所へ出ました。私が、カーブしながら搦手方向へ伸びる道にばかり気を取られヘアピン状にカーブし入る、大手筋の道を見逃していたようです。

戦国時代であったなら、搦手側に大回りする私の様子を見て、城主に大笑いされながら、上から横から攻められて終わりでしたね。(~_~;) 城址道、奥が深い!
植物園の入り口が、東口、南口(現在は料金ゲート閉鎖)とある事からも、居館に近い東口から続く道のいずれかが大手で、南口に続く道のいずれかが搦手だったのでは?と、私なりに妄想しています。
案内板奥に見られる、実城下に広がる帯郭の北西部を観察すると、竪堀と土塁が交互に形成された畝形阻障があるはずなのですが、時期的にもかなり薮化した状態なので、雪解け後の雪割草やかたくりの咲く時期にでもまた登城し、下草の無い状態で見てみたいと思います。
改めて実城方向を見上げてみると、薄っすらと道がわかりますね。やられた!
そんなトラップに引っかかりながらも、それが何処か嬉しく思えるのは、山城ならではの醍醐味だからでしょう。

帰りの道は、なるべく来た道に重ならないよう、No21~22の道は来た時と違う、東側の道から降りています。
(その後は24→18→17→14→芝生広場)
左:行きにも見た切り岸状の場所|右:さらに奥に見える通路を登った行きの道

左:出た先には城址案内は無く|右:その先は立ち入り禁止区域

左:溜池|右:芝生広場から見た城山方向

No14脇には溜池が見られました。当時の城との関連性は無いのかも知れませんが、水が豊富な様子はわかります。
下りた場所は、広い芝生広場でした。
おしまいに
取り立てて大きな空堀があるわけでも無い山城でしたので、ここでの一番の見所とも言える、北西斜面の畝形阻障は押えなきゃですね。ちびはもう嫌だ!と言っていますが、雪解けの頃、また邪魔します!訪城日:2013年9月28日(土)
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