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微笑仏|小栗山木喰観音堂

2014年06月04日

微笑仏
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昨年11月、柏崎にある大泉寺境内で拝見した「子育て地蔵尊」の不思議な魅力に取り付かれてしまい、県内に複数残されているという木喰上人の刻まれた仏様たちを、さらに拝見してみたいと思うようになりました。
少しお天気も悪かったのでこんな日は仏様探しの旅も悪くない!と、小千谷の山中へと向いました。

延命院 大泉寺
大泉寺境内にある「子育て地蔵尊」

木喰上人について

木喰上人は江戸時代後期の遊行僧。享保3年(1718年)甲斐国(現山梨県)丸畑の農家、伊藤六兵衛の次男として生まれます。14歳で江戸に出奔。様々な職業を経た後、22歳で仏門に入ります。45歳になると、五穀(米・麦・粟・稗・黍)、塩、火を通した食物を断つ修業「木喰戒」を受け、56歳からの37年間は、「日本廻国」「千体仏像造」「衆生済度」の悲願をかかげ、廻国修行の旅に出て千体以上ともいわれる仏像を刻み、現在、全国で確認されているだけで約620体ともいわれています。
60代半ば、85代半ばの二度に渡って新潟を訪れていて、滞在期間もそれぞれ4年と長かったことから、そのうち4割に当たる約260体が新潟に存在しています。再訪した80代後半は上人円熟期にあたり、微笑仏の特徴がよく現れた傑作が多く30体を超える大群像が残っているのも、県内4か所のみだそうです。大正末期、民俗学者や民芸研究家によって広く世に出され「円空・木喰」と並び称され、高い評価を得るようになります。
文化7年(1810年)93歳で生涯を閉じますが、入寂の地は不明です。

小千谷市にある小栗山木喰観音堂

今回お邪魔したのは小栗山木喰観音堂。
二度目の越後巡礼の際、小栗山地区に滞在した上人が、火災焼失により享和3年(1803年)に再建された観音堂のために、同8月1日から24日までの間に刻んだものが安置されています。

小栗山木喰観音堂

堂内には、高さ約2.5mのご本尊である如意輪観世音像を正面中央に、その両脇には1.2mほどの行基菩薩像と大黒天像。さらにその両脇には高さ7~80cm程の千手千眼観世音(12体)、十一面観世音(5体)、聖観世音(6体)、如意輪観世音(4体)、淮胝観世音(2体)、子安観世音(1体)、馬頭観世音(2体)以上、四国三十三観世音と、お堂一面に群像が望める景色は圧巻!
そして、特有の穏やかな表情の仏様たちに癒されます。

この他に30体以上の群像が残されるのは、宝生寺西国三十三観音、上前島金毘羅堂の秩父三十四所観音、南鯖石安住寺の非母三十三観音の三例しかなく、二度の大地震でも損傷することなく現在も拝めることは、とても有り難いことだと思いました。

小栗山木喰観音堂

堂内はご縁日が決められています。
降雪によるため期間は5月~11月、毎月17日、8:00~18:00までご開帳

堂内の仏像は撮影禁止となっています。

小栗山木喰観音堂

お堂近くにある音羽の清水

お堂前よりの景色

小栗山

お堂前から道を少し下ると、大岩の目立つ一角に 名水「音羽の清水」があります。

音羽の清水

霊気(冷気?)が凄くて、この辺でパワーに負けてしまったかも。
この日はお昼食べられないくらい、急に疲れてしまったんですよ、私。

小栗山のみまもり岩

小栗山地区には多くの岩石祭祀が見られますが、清水周辺の巨岩群は壮観です。そして、その最たるものがこちら!

みまもり岩

震災から三年目に「みまもり岩」という愛称がついたのは、平成16年10月23日に発生の中越大震災の夜に割れてしまったという大岩。

みまもり岩

その歴史は千年とも言われる、国の有名民俗文化財である小千谷の「牛の角突き」にかけてあるのか、大岩にも綱が巻かれ、まるで一頭の牛のように見えます。
震災でその身が傷ついてしまった大岩は、のちに復興のシンボルとなり、以前からの場所で、ずっとふるさとを見守っています。

小栗山

みまもり岩の向いにある小千谷闘牛場。
迫力のある角突き、いつか実際にここから拝見してみたいものです。

小千谷闘牛場

--- Sunday, May 11, 2014 ---
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そふぃあ
Posted by そふぃあ
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