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秩父札所めぐり|甲午歳総開帳・その9

2014年11月26日

秩父札所甲午総開帳
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28番札所 石龍山 橋立堂|曹洞宗

背後には、その高さ80mにもなる石灰岩の直立した岩壁。その直下に建つのが、28番札所の橋立堂です。
明治以前は14番札所・今宮坊の末寺で、修験者の道場でしたが、明治5年(1872年)の修験道禁止令に伴い、曹洞宗の寺院になっています。
写真の石段上り始めには文昭院(6代将軍・徳川家宣)|増上寺の石灯籠があります。

28番札所_橋立堂

お堂は江戸中期の建立。三間四面、宝形屋根。
ご本尊は、秩父札所では唯一の馬頭観世音菩薩。
像高26㎝の小ぶりなものですが、三面六臂の坐像で、鎌倉時代の秀作といわれるものです。縁日には、飼馬を惹いた参詣客で大賑わいだったといいます。

28番札所_橋立堂

『霧の海 たち重なるは 雲の波 たぐひあらじと わたる橋立』

その昔、この地に惨酷非道で信心も無い領主がいました。銅製の地蔵菩薩像を熱心に拝む里人を見て、神仏に祈って何になろうとその地蔵尊を壊して自分の財としてしまうと、たちまち病気にかかって死んでしまいます。
たった1度、この寺の燈籠の灯りをあげたことが徳となり、地獄には落ちず大蛇に化身されます。今度はその大蛇が憂いとなり、里人は一心に寺に拝みに来ると、まもなく白馬が現れます。大蛇は白馬を呑み込もうとしますが、白馬の額から光が射すと大蛇は人の言葉を発し「私は先に死んだ領主だ。今、佛知に触れ得脱した。この姿を末代に留め、衆生の信心を励まそう。」と池から出ると、その金鱗は石となり、白馬は本尊の御帳に走り入ったという縁起があります。

右:28番札所 橋立堂 御朱印
28番札所_橋立堂_御朱印

馬の観音様としての信仰も深く、境内には御神馬像や、左甚五郎作という二頭の白馬の像が安置された馬堂などあります。
境内裏手の岩壁下にも、石仏が多く見られました。

28番札所_橋立堂

橋立鍾乳洞

納経所脇が入り口となり、その先には県指定天然記念物の橋立鍾乳洞があり、全長200mに及ぶ洞内を探索することができます。(洞内は撮影禁止)

28番札所_橋立堂

昔は胎内くぐりの霊場とされていて、洞内には鍾乳石、石筍、石柱など奇怪な形容のものを始めとし、弘法大師の後姿、上り竜、下り竜、仁王の足などに見立てた奇石が見られます。

28番札所_橋立堂

29番札所 笹戸山 長泉院|曹洞宗

29番札所_長泉院

花の時期だとさぞ見事なのでしょうと思わせる、入り口の大きな枝垂れ桜が出迎えてくれる29番札所。ダム工事のために目の前にあった杉が伐採されると、再び花を咲かせるようになり「よみがえりの一本桜」と呼ばれています。

入口の右手には「笹戸山石札道場」、左手には「笹戸山長泉禅寺」と刻まれた2つの石柱。
延命地蔵尊に迎えられて境内へと入ると再び左右には石柱があり、それを越えると枯山水も見事な寺園。その奥には豊川稲荷の分霊が祀られ、神仏習合時代を感じさせます。

29番札所_長泉院

29番札所_長泉院

開山は平安時代中期正暦元年(990年)無住の観音堂でしたが元亀2年(1571年)現在の皆野町の大通院より和尚を招き曹洞宗の寺院としてあります。その昔はお寺の前方にある山の頂上近くの岩山に、懸崖造りで建っていましたが、何度か火災に遭い焼失してしまい、現在の本堂は場所を移し、天保4年(1833年)に建立されたものです。
ご本尊は、像高55cm 平安時代 慈恵大師の作と伝わる聖観世音菩薩立像。

29番札所_長泉院

秩父観音霊場が開かれた際、紀州熊野権現からおくられたという「石札」が残ることから「石札堂」とも呼ばれます。
あっ、あんな高い場所にどうやって貼ったのか?と思う千社札がありますが、実は文字を彫り、黒漆を塗った納札天井となっているのです。

29番札所_長泉院

堂内正面には、文化8年(1811年)葛飾北斎の「桜図額」が掲げられ、洛東山の香炉、地獄極楽の絵草紙、5代将軍・綱吉公の側室・北の丸様の姪にあたる竹姫の眼病祈願がかなって奉納された品などが寺宝として納められています。

昔、山麓に龍女が現れ不思議な灯りをともし、里人は何だろうと怪しんでいました。その時、十数人の僧が現れたので、村人は灯りのともる岩屋まで案内することにしました。すると、小笹の茂る岩屋の中の観音像を見出し、お堂を建てて安置したのが寺の創始であるといいます。

右:29番札所 長泉院 御朱印
29番札所_長泉院

観音堂前に三途河婆が祀られていました。やはりこの地方、この老婆を祀ったところが多いです。
境内に置かれた大燈籠には徳川家の御紋が入り、芝増上寺、正徳2年 文昭院殿(6代将軍・家宣)、正徳6年 有章院殿(7代将軍・家継)の文字が彫り込まれているのが見られます。

火災で苦労したお寺らしく、火伏せの神として秋葉権現が祀られていました。

29番札所_長泉院

『分けのぼり 結ぶ笹の戸 おし開き 仏を拝む 身こそたのもし』

30番札所 瑞龍山 法雲寺|臨済宗建長寺派

30番札所_法雲寺

谷津川の流れに沿って山道を登った先にあるのは、鎌倉時代、13世紀の開創という30番札所。
境内に向かう最後の石段を進むと、綺麗に整備された庭園に、「心」のかたちをした心字池、朱塗りのお堂が印象的で、その落ち着いた雰囲気に癒されます。

境内に見られる石灯籠2基は惇信院(9代将軍・徳川家重)|増上寺

30番札所_法雲寺

観音堂は六間四面、唐様の方形造り。過去帳に元和元年(1615年)の建立とあります。
江戸時代の堂宇は、観音堂、本堂、仁王門などを備えていましたが、嘉永年間(1849年頃)火災に遭い、観音堂のみを残して焼失しています。
このお寺には享禄4年(1531年)、天文5年(1536年)、同6年、8年、24年と古い納札が保存されていて、札所番付と共に秩父札所の起こりや移り変わりを知る重要な資料といわれています。

本尊は、像高40cm弱、唐の玄宗皇帝の作と伝わる如意輪観世音。
唐朝の玄宗皇帝が寵愛した楊貴妃の冥福の為、自ら彫刻し不空三蔵が開眼したものを元慶元年(1319年)法雲寺開山道隠禅師がこの地に招来し安置したものといわれ、美しく尊厳に満ちたものです。

30番札所_法雲寺

千疋猿とも呼ばれる、小切れと綿を使って縫い上げた子どもの厄除け祈願の猿子の瓔珞が見られます。秩父札所では良く見られるものですが、堂内は撮影禁止のため、このように撮影出来る場所が今までになく、ここはお堂軒下に見られましたので、貴重な一枚になりました。

右:30番札所 法雲寺 御朱印
30番札所_法雲寺

『一心に 南無観音と 唱ふれば 慈悲ふか谷の 誓ひたのもし』

観音堂の庭左手にある桧葉は、樹高20m、目通り周囲2.5m。開祖道陰仏恵禅師のお植えと伝わるものです。

30番札所_法雲寺

曇り勝ちな日だったので、あっという間の日没でした。連休なので、また明日伺います。

--- Sunday, November 2, 2014 ---

馬は観音様の眷属(けんぞく=神の使者)であることから、2014年は日本百番観音秩父34ヶ所観音霊場の総開帳の年にあたり、3月1日~11月18日まで、通常秘仏としてある観音様のお姿が拝めます。札所開基が文暦元年(1235年)この年の干支が今年と同じく甲午で、開基から13回目の甲午年となり、60年に1度の特別な開帳年です。

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そふぃあ
Posted by そふぃあ
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