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Xデー

2015年04月18日

老オン
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4月16日(木)晴れ

かなり熟睡していたのだと思う。
再び、オリオンの悲しそうに鳴く声に気がついたのは、真夜中の2時だった。

鼻を鳴らすような声と一緒に、「カリッ、カリッ」っと爪で引っかくような音がする。
うん!?と思って部屋を出て、オリオンの居場所の明かりを点けてみると、なんとオリオン、大きく寝返りを打ったわけではなく、ズルッとお尻から滑り落ちてしまったようで、段差になっている部分に体全部が落ちてしまい、踏ん張れない後ろ足では自力で布団に戻れず、途方に暮れていたのだ。
明かりを点けて目が合った瞬間の、「しまった!」というバツの悪そうなオリオン眼差しが、気の毒ながら、何とも愛おしく思えた。

直後の発作

オリオンの声ではなく、私の「あらぁ~、落ちた。」の声で目が覚めた旦那が、布団まで抱っこして上げてくれた。
しかし、その時に自分の足で立とうと力を入れたのが厄したのか、その数分後から急に発作のようなものが始まった。
何ともいえない声で鳴きながら(人なら呻き声?)、後ろ足が利かないので上半身だけで頭を振り上げるように起き上がる(悶える)。何分かに1度ずつ、波のように何度も発作を繰り返す。発作が終わる頃「僕どうしたの?助けて」と言いたげに、こちらに眼差しを向けながら、最後は疲労して「パタン!」と頭を布団に落ち着ける。
その合間に旦那が撫でてやると落ち着き、落ち着いた頃にまた発作が来る。
発作は5回、いや、6回は来たのだろうか?
終わってみると、すでに40分は経過していたと思う。
その後も旦那が辛抱強く撫でてやると、精神的にも落ち着いて静かになってくれた。
水を飲むかと差し出してもソッポを向く。大好きだった氷ならと思ったが、それにも顔を背けて反応してくれなかった。

パジャマ1枚でいたので、旦那が「寒い」と言い出し、自室へ戻って上着を着て来た。1時間も格闘していたためすっかり冷えてしまったようで、それでも寒さがおさまらず再び布団に入ってしまった。
擦る手が無くなると、また心細さが来るのか?、まだ何処か痛むのか?、小さく鳴いて誰かを呼ぶ。発作がおさまってから私は少し布団に入っていられたので、今度は私が行って撫でてやる。
気がつくと、発作の最中に力が入ったのか、布団にオシッコをしてしまっている。
冷たそうで可哀想なので、お腹の下にペットシーツを入れ込み、何とか対策してみる。
ついでに、少しでもオシッコが出てくれたらと思い、その周辺を触って刺激してみるが、母犬がするようにはいかないものだ…。返って緊張させ、出なくしてしまったかも知れない。

発作後のオレンジ色の時間

明け方のこの頃、この時期には無い冷え込みで、気温は7℃程度しか無かったのだ。
旦那は寒いと言っていたが、私はオリオンに触れている間、寒いとは感じなかった。
決して熱があるわけでは無いのだが、触れていれば体温が伝わり、心地よく思った。
布団の冷たさも無くなり、痛みも緩和されたのか、撫でてやると少し「トロン」と眠そうな顔をするようになった。
首と前足の上部分、この2箇所を撫でると特に気持ち良いらしい。良い表情だ。
いっぱい歩いて鍛えた筋肉は、まだハリも弾力も感じる。お腹の下は嫌がって、ブラッシングが行き届かない場所に冬毛が残っている…。そんな様子を見ながら、気がつけば1時間半、ただただずっと撫でていた。

こんな時なのに不謹慎な話しなのだが、真夜中の授乳の時に感じたように、まるで世界には自分たちしか存在したいような…そんな、特別な時間の中にいるように思え、幸せな温かい時間にすら感じた。ずっと私に撫でられ、顔横の毛は艶々になった。
幸福な時に感じた反面、先ほどの発作の苦しみ様を目の当たりにしてしまい「このまま眠って、もう起きなければ…。」そんな不謹慎なことさえ思ってしまう、罪深い私。
とどまって欲しい。早く楽になって欲しい。2つの心が大きく揺れ動いた。

外はまた、弱い雨が降り出しはじめていた。
撫でる手を離したら、オリオンがいつも寝る時のように丸まったので、明かりを消して私も布団に潜り込んだ。途端に寒さを感じ、手足が温まるまで眠れなかった。

お別れの朝

家族が起き出すまで、オリオンは静かだった。
あまりにも静かなので、「もしかして!」と思って覗き込むと、鳥のさえずりのような息をしながら、静かに横になって休んでいた。
急に覗き込まれて上半身を起こし「おはよう!」と。今日もまた、新しい1日が続くはずだった。

▼朝7時20分頃撮影
朝見た我が家上空

自転車小屋からちび子の通学用自転車を出し、玄関先に移動させようと思って裏庭に出ると、オリオンの居場所から見える桜が満開で、その上に、雲の切れ間から光のカーテンが出来ていた。
玄関に自転車を置いて戻ると、もうカーテンは無く、ポッカリと開いた雲だけが残っていた。

それを撮影するためにカメラを取り出し、その後に朝のオリオンを撮った。目線の先は、登校前の身支度をしているちび子だと思う。
こんな顔をしながら、学校に行くちび子を見送り、歯磨きしながら覗きに来た長女の顔を確認し…

オリオン最期の朝

普段、6時半になれば家を出て行ってしまう旦那は、朝のうちだけ数時間の年休を取りこの後オリオンを病院に送っていくつもりで自宅待機中だった。

オリオンのお腹の下に敷いたはずのペットシーツがズレてしまっていて、敷布団がすっかり汚れてしまっているのを見つけ、あと1時間もすればまたお医者さんだからと外し、布団の下に敷いてあった防寒用マットの上に、直にペットシーツを敷いた。
お天気の良い朝だったので、濡れた布団を物干し竿に引っ掛け、私は朝仕事に戻った。
「今夜はペットシーツ4枚くらい貼り合せて、布団みたいに敷いてあげないとだね。
私、昼間のうちに加工作業しとくわ。」そんな独り言のような会話を旦那とした。

再びオリオンが鳴き出しはじめたのは、8時を回った頃だった。

また傍らに行って撫でてやる。撫でられていれば安心し、大人しくなるのは同じだった。
撫でながら、今日も打つはずの点滴針が無い方、前回6回の点滴治療のうち、最後の1日だけ点滴をした右足の、その時に刈られた毛の間から、オリオンの太い血管を発見した。

太く浮き出たオリオンの血管

丁度、旦那が私の背後を通りかかったので「見て、凄く太い血管があるよ。ここから点滴入れていたんだね。」と、暢気に会話し、その直後、私はすぐ傍に出したままになっていたカメラで、何気なくこの時の様子を写真に撮った。
今から思うと馬鹿な話だ。この時、血管が浮き出る程の体の変化、もうすでにオリオンの最後の戦いが始まっていたことに、私は全く気がついていなかったからだ。
前回点滴が不要になった時、同じようにこの足を写真に残しているが、私が手を握った状態で撮った写真では、この太い血管が確認出来ないからだ。

その直後、一緒に撮ったのは、横向きに寝ていたオリオンの左目アップの写真。
苦しみがやって来る…そんな時でも、その瞳だけは私の方へと向けられていた。
「犬は無償の愛」というが、常に自分ではなく、相手に合わせて生きている。人よりずっと純粋で、見習うべき尊い動物かも知れない。
結局、生きているオリオンを写した最後の写真になった。その撮影時刻は8時15分。
(先日の月食の際、編集作業用にも正確なデータが欲しいため、その当日、カメラの時間設定を合わせたばかり。なので、この時間はかなり正確なはずだ。)

病院へ行く支度の中で

オリオンの顔が汚れていたので、その後はいつものように濡れタオルで目ヤニや口周りを拭いたりしながら、ずっとオリオンの傍にいた。
「俺、これから車取って来るわ。」(自宅前のスペースは仮停め程度しか出来ず、通常は貸し車庫に車がある)旦那の声が背後で聞こえる。約束の9時に、病院に送るためだ。
そこから旦那は身支度をし、玄関を閉めて出て行ったのが、8時25分を少し過ぎた頃だった。

旦那が出て行って程なくし、再び夜中と同じ発作が始まった。
1度目から2度目。夜中の発作と同じ光景だが、その時に比べ、その間隔が酷く短いと感じた。床に頭が戻って来ると、殆ど時間を置かずに3度目の波がやって来た。
上写真で確認してもらうと分かるのだが、オリオンの下半身は麻痺し、あの状態からは動かせない。なのに、何処をどうするとあんな形になるのか?お尻付近に頭が来るほど体をくねらせ、お腹を上に見せながら、一際大きな声でもがき苦しんだ。

再びオリオンの頭が床に戻って来た時、私の口から、自分でも思い掛けない言葉が出ていた…
「オリオン、ありがとう。いつも見守って、一緒にいてくれて、ありがとう。」
見開いたままのオリオンの瞳は、もう2度と私の方を見ることは無く、左肩付近に置かれた私の手を振り切るように、4度目の発作がやって来た。
これまでと、全く様子が違った。
今度ばかりは頭を持ち上げず、横たわった状態のまま、オオカミが遠吠えをするような角度で顔を上に向け、苦しそうな声をあげ、その直後、肛門から空気が抜けていく音が聞こえた。
「エッ、オリオン!ダメだよ!!!」
最後の呻き声が聞こえなくなると同時に、一気に全身が脱力していくのが分かった。

一気に涙が込み上げてくる。
…と、ぼやける視界の中、再びオリオンの動き始める姿が映った。
発作なのかと見ていると、息の吸えない短いシャックリのようなもの(「死戦期呼吸」というらしい)を5回ほど繰り返し、本当に、本当に、もう2度とその体が動くことは無かった。僅かに5分苦しんだだけで、驚くほど呆気ない最期だった。

家の前に車を停め、玄関を開けた旦那に、私の泣き声が聞こえたそうだ。
オリオンを見て「エッ、もう?間に合わなかった…。」
旦那は死に目に遭えなかった…いや、リーダーと思っていた旦那に、そんな最期の自分を見せたくなかったのだろう。

息を引き取る際、オリオンの顔があった場所。
2003年3月16日(日)親から離され我が家に来た日、最初にご飯を食べた、その時と全く同じ場所だった。

2015年4月16日(木)午前8時35分
12歳2ヶ月26日 腎不全のため永眠
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そふぃあ
Posted by そふぃあ
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