見送り
2015年04月20日
-
連絡
オリオンが亡くなったこともあり、旦那は1日仕事を休んでくれることになり、職場に連絡していた。私は、仕事に行った長女と、家を離れ東京で仕事をしている息子にメールを入れた。
先に送った長女への送信履歴は、8時40分とある。
顔を上げ、しっかりと自分を見ていた朝の姿があるのに、もう逝ってしまったと聞き、長女は落胆と驚きを隠せなかった。
自分の弟と思い、特にオリオンを可愛がっていた息子には、暫くは闘病生活が続くのだろうと思い、オリオンの状態を見つつ、GWにでも会いに行ったついでに報告しようといまだ病気のことを知らせていなかった。なので、突然の訃報に驚いていた。
普段なら、朝飯も終わって部屋に篭った感じになっている義母だが、この日はデイサービスの日で、9時を過ぎればお迎えが来るため、この時間帯は出掛ける準備のために部屋と廊下を行ったり来たりしていた。廊下に出て来たところで、オリオンが亡くなったことを知らせると「それで夜中にあんな声を出していたんだね。」と、オリオンの傍らで泣いていた。
ひとしきりお別れをした義母が「お線香あげてやらなくていいかね?」というので、それもそうだと気づき、フードと水、大好きで最後まで遊んでいたブブ子の人形を供え、オリオンの頭辺りでお線香をあげた。
獣医師へ
獣医師のもとへ行き、オリオンが亡くなってしまったことを伝えなければ…。実はこの日、お世話になっていた獣医師は、この時期恒例の狂犬病の集団接種の当番医に当たっている日で、本来病院は午前休診だったのだ。それを、朝9時にオリオンが治療に来るため、我が家のためだけに開けて待っていてくれることになっていた。
結局旦那が行ってくれたのだが、その足元にオリオンの姿が無いのを見て、見る見る表情が変わって行ったそうだ。そして「昨日は元気にしていたから、もう少しがんばれると思っていた。」と、あまりに早い幕引きに、大変驚いておられたそうだ。
殆ど病気をしなかったオリオンなので、春の予防接種でお邪魔すると、「若々しいね」「良い腰のくびれだね」「良く運動しているね」「爪なんて切った事ないくらい運動しているでしょう」「この子の大きさなら21kgあっても良いからね」と、兎に角良く褒めていただいた。通院中も「大人しくて手の掛からない子ですよ!」と。
この日もそうだったが、治療が続いている間は、土・日の休診日でも全く関係なく病院を開けてくださり、そして、飼い主と同じように一喜一憂してくださり、とても有り難い獣医師だった。
死亡手続きの全てをお願いし、その後の霊園関係の話しを伺い、病院を後にした。
見送りの準備
我が家が先住犬を見送ったのは、もう彼是17~8年も前のことになる。義姉が拾ってきた犬で、義姉はその犬を残して嫁に行き、嫁に入った私も世話したが、その殆どを義母がやっていた。当然のように、最期を看取ったのも義母だった。
そんな当時、ペット霊園はまだ少なく、我が家から車で50分程掛かる場所にしか無かった。その記憶しか無い私は、当然のようにオリオンもそこへ行くのだと思った。
しかし時代は変わり、獣医師から紹介されたのは、そこから時間半分程の場所にある霊園と、我が家も義父の時代からご縁のあるお寺さんだと知り、迷わずそのお寺さんにお願いしようということになった。
本当ならば、一晩くらいは自宅に眠らせ、それから見送ってあげるのが理想だと思う。
しかし、旦那は明日は抜けられない会議があり、2日続けて仕事は休めないと言う。
義母もデイサービスで夕方まで留守。今日のうちなら自由に時間を使える。
相手のある話なので、まずはお寺に電話で確認してみると「今日は葬儀の予定は入っていないので、いつでも可能です。」とのお答え。それならばと、午後からの予定を入れ、その時間に合わせて見送りの準備をした。
まずは、この日もするはずだった点滴針が、きつく左腕に巻かれているのを外した。
血管に刺さっていたため、針周辺にはオリオンの血が残っているが、もう体内から出て来ることは無かった。
4年半前に購入した、ネーム入りの首輪を外した。

亡くなって暫くした頃、オリオンの腰の下に敷いていたペットシーツが、ビショビショな事に気づいた。昨日した点滴分のオシッコが、体外に漏れ出していたのだ。
夜中も布団の上にも漏らしていたのだが、結局、大判のペットシーツに2枚半ものオシッコが出て来た。
それが収まった頃、子供たちが使っていた昼寝布団の上にちび子が乳幼児の頃使った綿毛布を敷き、すっかり硬直してしまったオリオンを寝かせた。
大好きだった食べ物を供えて良いというので、最後にがんばって食べていたフードを用意した。
お供えの花は、自宅裏に水仙が満開だったので、それで気持ちばかりの花束を作った。
満開すぎた散歩道の桜
早めに家を出て、オリオンと歩いた思い出の散歩道を車で通りつつ、お寺に向かった。いつも人の姿など無く、暑い日も寒い日も風の吹く日も、私とオリオンで黙々と歩いた散歩道は、この日満開の桜並木となり、大勢の人が花見をしながら散策していた。
毎年貸し切り状態で勿体無いと思っていた、線路向こうの桜も同じように満開で、たくさんの人が車を停めて花を眺め、とても賑やかだった。
今年はここまで一緒に歩くことは出来なかったが、亡骸となったオリオンと一緒に、最後のお花見ができたようで、私の気持ちも少し軽くなった。
ご住職様自らの読経の中で
15分ばかり早く到着したが、寺の山門まで車で行くとすぐ、電話で対応してくださった方が出迎えてくれた。改めて、葬儀についての話しを伺うと、大まかなプランはパンフレットにある通りなのだが、かなり臨機応変に、出来るだけ家族の意向に沿うよう変更可能なのだと。非常に有り難い話だった。
午前中の見送りで無かったため、大きな犬は火葬に時間が掛かると言われ、お骨上げはお寺の方にお願いし、旦那と2人、葬儀にだけ参列した。
お寺にはペット用の本堂が完成していて、その祭壇中央、観音様の足元にオリオンの亡骸が、布団毎横たえられた。
お棺も用意されていたのだが、特大サイズのボーダーなので、今時サイズのお棺には納まりきらないためだった。そんな事もあろうかと、布団に寝かせたまま運び込んで良かった。
祭壇に上げても、横幅は何とかギリギリ入るのだが、足先が飛び出ている状態だった。
ようやく病から開放されて楽になれたのに、その四肢を折り曲げようとは誰も思わないはず。伸び伸びと四肢を伸ばし硬直したのだから、これも致し方ない。
ここで、ご住職様自らお経を上げてくださる。お経の途中、ちゃんと焼香もある。
20分にもなるお経を上げていただき、本当に人間の葬儀さながらで驚きだった。
「時々思い出してあげるのも、ペットにとって供養になります。」と、ご住職様。
ペット本堂から火葬場まで運ぶため、結局最後は棺に入れられた。やはり、横幅は窮屈そうだがギリギリ入り、四肢ははみ出した状態。オリオンに最後のお別れをし、私たちはお寺の御本尊様の祀られた本堂でお参りをした。再び戻ると、オリオンの姿はもう無かった。後ろ髪を引かれながらお寺を後にした。
昨年秋にもここを訪れているのだが、ペット用のお堂に全く気がついていなかった。
最もその時、こんなに早くお世話になる日が来ることを、想像もしなかったはずだ。
夜になって
夜になり帰宅した長女が、もう家にオリオンの姿が無いことを、酷く哀しんだ。その選択を、決してこちらに向かって非難したりはしない。自室でひとり泣いたそうだ…。大人になったものだ。
最期の数分間は壮絶だったが、その後のオリオンの姿は、まるでそこに寝ているかのようだった。しかし、血の通わなくなった唇はあっという間に色を無くし、数時間もすると、すっかり温かさを失って硬くなった。
何よりも耐え難かったのは、数時間前まで生身であったオリオンが、どんどん剥製の手触りになって行くこと。
オリオンが旦那に最期を見せなかったように、私たち親は子どもに、オリオンの元気に笑っていた姿だけを覚えておいて欲しいと思った。ただ、それだけだったのだ。
夜中の発作を耐え抜いたのも、朝になって、自分のそんな姿を、大好きだった子どもたちに見せたくなかったのだろうと。
おしまいに
3月半ばに食が落ち、それでもオリオンは、自分の意思でがんばって食べていた。多分普通の子なら、そこからずっと拒食状態が続き、通院(入院)なのだろう。
絶好調とは行かないまでも、7~8割は食べてみせ、「僕、大丈夫」とアピールする。
ちび子の卒業式が近づくにつれ、本当に懸命に食べたので、こちらも、年齢的にも胃腸が弱り、次第に回復していると思ったくらいだ。
3月30日はちび子の眼科検診日。朝飯は半分食べたところで休んだ。
帰宅すると義姉が姪っ子2人を連れて遊びに来ていた。子どもが大好きなオリオンなので、それに気を良くし、残っていたフードもさらに食べてあった。
しかし、翌日から再び様子が変わっていった。
4月1日に医者に行き、検査で腎不全と言われ、2日から6日間の点滴治療。
相変わらずご飯は食べないが、その元気ぶりに、獣医師も首をひねったくらいだ。
ちび子の入学式は点滴通院日だったので、病院にいると思うと安心感があった。
点滴のお陰で数値も下がり、3歳くらい体力が戻ったような様子をみせ、ガンガンご飯を食べ、町内をクルッと巡るだけの10分程の超ショート散歩だったが、一緒に咲き初めの桜を見て、最後にとびきりの笑顔を残してくれた。
4月12日の昼食まで、本当に安定して食べていたので、半日くらいなら平気だね!と
夕飯分だけ長女に託し、私たちはちび子の希望で高田の桜を見に行った。
この日私たちが出掛けなければ、大好きだった長女からご飯を貰うシュチュエーションは有り得なかっただろう。全てはオリオンの仕組んだこと…そんな風に思えた。
翌朝から、またご飯の食べ方が落ちてしまったのだから。
水曜日の夕方、病院を出る時にもうすでに腰が抜けたような状態なら、獣医師も異変に気づき「今日は入院で」と言ったのかも知れない。家に帰りたいと強く望んだのはオリオン自身で、力を振り絞って平気を装い、自力で歩いて車に乗ったのだと思う。
真夜中の発作で逝かなかったのも、あの子の持ち合わせた生命力の強さと、朝になり、もう一度家族の顔が見たかったから…。みんなを見送り、ようやく自分の命に区切りをつけたのだと思う。律儀なヤツだった。
亡くなる日の朝、オリオンの居場所から見える満開の桜の上で私が見た空。きっと、同胎・妹犬のさくらちゃんが迎えに来てくれていたのだろう。迎えに来てくれた(はずの)さくらちゃんと、同じ月命日になる16日のことだった。
今は、私からは見えない世界で、こんな風に仲良く走っていてくれると良いが。

最後まで読んでいただき、感謝申し上げます。
関連する記事