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初七日を終え…(長文)

2015年04月23日

オリオン
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初七日が過ぎました

前回の『ありがとうございました』の記事には、たくさんの皆様からお悔やみや、励まし、お気遣いの言葉を頂戴し、大変有り難く思いました。この場をお借りし、改めて感謝申し上げます。

オリオンを看取ったのが、もう随分遠い日だったような気がしますが、今日でようやく1週間。昨日、人間でいうところの「初七日」を終えることができました。

今、オリオンは、狭い私の部屋の片隅に造った、かたちばかりの祭壇に、とてもコンパクトな姿になって、家族と一緒に写った写真と、お友達からの真心の花に囲まれ、静かに眠っています。

オリオン祭壇

我が家の場合、ペットとは一緒に入れないお墓なので、その大部分は葬儀をお願いしたお寺さんのペット供養墓へ、後の世代に負担にならない程度を分骨していただきました。
私が所有している部分だけで別々なのも嫌だろうと、遺髪と、たった1本だけ所持していたオリオンの乳歯も一緒にここにあります。
全く意図していなかったのですが、ここに座ってお参りすると、その延長線上にオリオンのいるお寺さんがあるので、本骨、分骨同時にお参りするかたちになるのです。

お骨上げまでは立ち会わなかったので、土曜日の午前中にお寺で分骨を受け取り帰宅すると、これから始まる春の一大イベントのため、太鼓演奏の音が遠くから聞こえていました。

散歩道

実はこの土・日、昨年秋に閉店してしまったジェラート店が、イベント目掛け、2日間だけの出店をされました。
珍しく長女も一緒に、土曜日に家族4人で出掛けて来たのですが、その出店先というのがオリオンがいつも走っていた公園の真ん前だったのです。
こんな機会でもなければ、この時期に揃ってここを歩くことも無かったと思います。

ここを散歩し終えた午後からは、葬儀に参列できなかった長女とちび子を連れ、再びお寺まで行って4人揃ってお参りし、その後、先住犬の眠る別の霊園まで出向き、そちらも合わせてお参りして来ました。

住み慣れた我が家も、この桜並木の散歩道も、みんな見えるあの山の上で、オリオンは今でも、私たち家族を見守っています。

久しぶりに来てみましたが、ここまで歩き、遊ばせ、また帰る。軽く1時間半。
夕方になればまた軽く40分。さすがにこの1年はオリオンの年齢的なものもあり後半の軽く40分コースが多かったですが、本当に、毎日々良く歩いたものです。
病気が見つかる直前の3月30日までは、ずっと40分コースの散歩でしたから。

オリオンの足

2003年4月28日
2003年4月28日のパピーオリオン

2015年4月16日
2015年4月16日のオリオンの足

亡くなった直後に撮ったアンヨです。
デカイ手だなぁ~という印象が強かった足ですが、あんなに歩いたのに、散歩デビュー前と比べても、あまり変わっていない様子に驚きました。
この時期▲本当にやんちゃなクソガキだったんだわ~。わかるでしょ!?

我が家には、オリオンの爪が戻って来ています。犬の爪は、焼いても残るんです。
オオカミ爪だけと思っていたら、判別できる限り丁寧に拾ってくださったようで、数え切れないくらいたくさん入っていました。

オリオンの歯と骨

2003年8月15日
2003年8月15日のオリオン

こちらは人間でいうと思春期、反抗期頃。全体のバランスもおかしい時期で、見慣れたオリオンと違って「シュッ!」とした印象。
生え変わったばかりの歯が、某ハミガキCMのように「驚きの白さ」です。

2015年4月9日
2015年4月9日のオリオン

亡くなる1週間前の写真は、時を経て、すっかり好々爺になったように見えます。
運動が大好きで、随分DISC遊びをしたので犬歯も先が平になり、いつかエナメル質が出でしまうのでは?と心配しましたが、奥歯も減って小さくなりましたが、最後の最後までしっかりとカリカリフードが食べられる歯でした。もちろん、1本も失うことなく。

犬歯を初め、大きな歯がいくつも入って戻って来ました。

そして、長い間病まず、直前まで食べて運動していた子なので、喉仏がしっかり形になって焼き上がって来たことに驚きました。喉元を触った時に感じた、そのままの大きさの骨。きっと、悪かった腎臓付近だけ真っ黒に焼け、他の骨も大きくてしっかりした状態で上がって来たのだろうと思います。

12歳を迎えて白髪も少なく、良く学校帰りの地元女子高校生に「可愛い!」と言われ、すれ違う人に「毛が艶々ですね。」と言われ、ヒールポジションで散歩する姿に「盲導犬なんですか?」とまで言われ。
極めつけは「あら、大きな犬ねぇ。ご飯いっぱい食べるでしょ?」でした。

オリオンがいなくなって

オリオンが居なくなり、朝となく、昼となく、庭にスズメが来るようになりました。
亡くなる3日前、自分の居場所の片隅にスズメがとまったのを、大急ぎで追い払っていたのを見ました。その俊敏なボーダーの動きに「あれ、まだ元気じゃん!」って思ったものでした。
スズメくらいなら可愛いのですが、3月頃だったか?庭に1羽のカラスが舞い降りた日がありました。その少し前から、オリオンの視野範囲に姿を見せるようになっていて、その都度、吠えては追い払っていたのですが、この日は、相手が繋がれていてここまで来れないことを知っているかのように、すぐ目の前まで来て挑発。
オリオンが猛然と吠えても逃げることなく、私が庭に出て追い払った日でした。
カラスは賢い鳥です。私たち家族は気づかずとも、もうすでに、オリオンの死期が近いことを察知しての行動だったのかも知れません。2度とカラスは来ませんでした。

オリオンに関しても、不思議なことがありました。
2度目に食が落ち、獣医師に相談に行った14日の夕方は雨で、病院に行くのに濡れた体では困るので、裏口から家の中を通過し、玄関から出して車に乗せました。
実は、前回の点滴の際にも、同じように雨の日が続き、家の中を通過して玄関に連れて行ったことが数回ありました。
しかしこの日だけ、仏間の脇を通過する際にハタと立ち止まり、部屋の中をジッと見ていたのです。丁度、仕事から戻っていた長女もその場面に遭遇していて、「ほら、そっちじゃないよ。」と、声を掛けています。
後で思うと、仏壇の中に眠る義父への挨拶だったのか…以後、家の中を通過することはありませんでしたから。

もう1つは、オリオンが亡くなった日の話。
その日はお天気も良く、昼間は換気のため、2階の部屋の窓が開放してありました。
日も翳って来たので窓を閉めに行くと、ちび子の部屋に貼ってあったはずの2003年カレンダーがありません…。最初の写真の中で遺骨の後ろにある、オリオンを迎えた日に、ペットショップのご店主が、家族一緒に撮った写真を加工してくれた、そのカレンダーです。
結局、ちび子のベットの下に落ちていたのを発見したのですが、ちび子が使っている部屋は、以前、息子が使っていた部屋でした。
特にオリオンを可愛がっていた息子は、自分の部屋の壁に、ペットショップが記念にと加工して下さったカレンダーを大事に何年も貼って楽しみ、部屋を受け継いだちび子も兄同様に、そのまま貼り続けて部屋を使っていました。
帰宅したちび子に聞くと「私はとってないよ!」と。
風が強い日だったので、それで剥がれてしまったといえばそうなのですが…、丁度、オリオンをお寺に送り届け、一息ついた直後に見つけた事だったので、「僕、もういないからいいです。」と、オリオンの仕業だったのかな!?…とも。
(ちび子の誕生日は7月8日。その年の七夕の短冊には、長女の書いた「可愛い妹が~」と息子の書いた「弟が生まれますように」がありました。夜の風に煽られ、ちび子が生まれた朝、笹に残っていたのは長女の短冊。息子の短冊は無残に落ちていました。そんな話の残る我が家なので、特にそんな風に感じた次第です。)
大事な宝物なので、これを機に額に入れ、オリオンの写真の1枚として飾りました。

お供えのフードと水

さてこの1週間、私は朝起きると、今までして来たようにオリオンの餌入れにフードを盛り、水を置き、亡くなった時刻はその場所を拝み、そして祭壇に水を上げてまた拝み、気持ちばかりの供養をして来ました。

今朝も1週間前と同じように、天気良く、穏やかな朝でした。
「今日で最後にするからね。」と声を掛け、今朝もオリオンがご飯を食べていた場所にフードと水を供えましたが、その直後、ちび子の自転車を出す際に後ろ足を引っ掛けて転びそうになり…。朝食用のバナナを剝いたら、剝き終わらないところで半分に折れ…。まだ近くで、私を困らせるような悪戯をしているようでした。

通院が始まった頃、オリオンが病院へ行ってしまうと、毎日できるだけ丁寧に掃除し、夕方には綺麗な状態で迎えたオリオンの居場所だった軒下は、オリオンの居た痕跡が消えないよう、あれから1度も掃除していません。もちろん、ハウスもリードもおもちゃも、みんなその時と同じにしてあります。

最初の食欲減退期、好きなところだけ器用に器から取り出し、餞別しながらお肉だけ拾って食べていた跡。
亡くなる3日前の月曜日、私からバナナを貰って美味しそうに食べた跡。
後半の点滴治療前日の火曜日、水を飲み「コポッ」と口からこぼしてしまった跡。
同日夜、旦那から貰い、ウエットフードを手渡しで食べた跡。
(この時、普通は食べ物など受け入れ、飲み込もうという意欲も無いはずで、自分のためにではなく、差し出した飼い主のために必死に口にしていたのだと、後になって思います。)
すでにダルかった水曜日の朝。うまく体を丸めて用を足せなかったのでしょう、これから病院だというのに、お尻の毛にウンチ付着していて、嫌々、大嫌いなバリカンをかけられ、その時に落ちた毛についたウンチで残ってしまった跡。
みんな、みんな、オリオンが最後までここでがんばって生きていた証で、今では消したくない宝物。オリオンが夜寝ていた裏口も、以来開かずの扉になったまま。
しかし、オリオンが迷わないよう、これも少しずつ片付けて行かなきゃと思います。

思い出の一コマ

これまで紹介できなかった、思い出写真、最終ページです。
土、日は基本的に旦那が散歩係で、私との最後の散歩になったのは4月10日でした。
(旦那との最後の散歩は、亡くなる4日前の12日でした。)

裏の桜とオリオン

最後に、オリオンモデルで撮った桜写真は、オリオンが日々見ていた裏手にある桜。
昨年秋に枝打ちされ、今年はボリュームもイマイチでしたが、オリオンが逝った日の朝花は満開で、その桜の上に見た光景が印象的でした。
その翌日から大風に煽られて散り始め、今は見事な葉桜です。

そして、元気にしていたその日、このあと撮った1枚は▼こんな何気ない日常の一コマでした。
いつもこんな風に家の中を覗き、心配してくれていたんだな…オリオン。

家の中を覗くオリオン

実はこれもオリオンの差し金なのか!?
オリオンが来て以来、私たちは1日たりとも外泊をしたことが無かっのです。
オリオンも家を空けることがほぼ無かったため、通院治療が始まった初日、私は胸が掻き毟られるくらいに寂しくて、辛かったのです。それを紛らわすように大掃除。
しかし、夜になれば必ず帰って来るし、日々元気になって戻るし…で、その痛いような寂しさも、次第に消えて一旦治療は終了となりました。
その時、疑似体験(?)で少し慣らされた感があり、亡くなった翌日からは、その身が消えてしまった実感はじわじわとあるものの、急激な、気が狂いそうなほどの寂しさは不思議と感じず。時々、思い出しては涙が出る程度。
「か~さんが急に寂しくないよう、僕、とりあえず1回治療に行っとくね!」
…そんな気遣いだったような気がします。

長女に「こんな時なのに写真撮るの!?」と言われた場面もありました。
自分でも、どうしてこんな時に?と思う時でも、懸命にオリオンを写していました。
答えが分かった気がしたのは、亡くなった翌日。もうすでに、オリオンがあんなに苦しみ、発していた声が思い出せなかったのです。
自分の頼りない記憶の中、オリオンの姿が薄れて行くのを食い止めるための手段が、私の場合は写真であったのだろうと。
お陰で、このブログに戻ってくれば、元気なオリオンと再会できます。

オリオンとの最後の記憶が消えないうちにと、その時の様子をブログ記事として投影する作業を繰り返すうち、自分の気持ちにも徐々に区切りが生じ、そんな作業の1つ1つも、オリオンの供養となってくれたらと思います。

おしまいに

前記事には、オリオンの死因等が書かれていなかったため、その部分に疑問を持たれ、心配して下さる方も多かったです。
また、オリオンのファンだという方が「供えてください。」と、花束を抱えて訪ねて来られたという事もあり、オリオンがいてくれたからこそ繋がったご縁、私も知りえなかった様々なご縁があることを自覚し、直に会っては事情説明できないネットの向こうのお友達にも、自分の記録として書き溜めていた書庫を公開しようと思います。
書庫「老オン」からお入りください。

ただ、個人の覚書として書き始めているので、その時の正直な気持ちや描写、不適切で不愉快に思われる表現も含まれているかも知れません。しかも、状況生々しいです。
しかし、オリオンが病院に行った後の時間、ネットで検索し、同じようにこの病気と闘うペットを支える飼い主さんの記事に励まされ、勇気付けられた部分もありました。
ブログのお友達の中でも、昨年秋頃から愛犬を亡くされている方が次々にあり、実際に私も、その方々の記事を拝読しながら、自分たちのケースに当てはめて考えられた部分や、その時にお友達がとられた行動を記憶していたので、それが自分の判断材料となったことも事実です。
…ですので、もう全てが完了形になってしまった今、「とある犬の闘病記」「とある犬の最期」として、客観的にお読みいただけたら幸いに思います。


初七日も過ぎ、丁度1週間前に逝ってしまった時刻も過ぎ、オリオンが心配しないよう、ちゃんと天国に行ってくれるよう、私もあまりメソメソせず、ゆっくり、ゆっくりと、オリオンの居ない生活を歩んで行こうと思います。

明日からはまた、美味しく、楽しいお出掛け記事のUPを再開します。
オリオンについては「ありがとう」でしたが、私はまだ、ありがとうは言いません。
引き続き、どうぞよろしくお願いします。
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そふぃあ
Posted by そふぃあ
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