初月忌
2015年05月16日
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今朝は久しぶりに、雨音で目覚めました。
今日は、オリオンが旅立ってしまってから初めてになる「月命日」です。

あれから1ヶ月。毎週末になるとオリオンの眠るお山へと登り、オリオンのいる納骨堂はもとより、お寺さんの本堂周辺各地をお参りしてまわり、「そうでもしないと歩かないでしょ。」と言ってくれる旦那と、史跡など巡りながら、(オリオンも一緒に?)お山散策をして戻ることが常となりました。
お寺に通ううち、オリオンのお骨上げをして下さった方にお会いすることがあり、骨の状態について尋ねてみた日がありました。
「オリオンちゃん、首が丈夫だったのでしょうか?喉仏が、本当に仏様のかたちになって、しっかりと残っていました。」と、とても驚かれていました。
反面、私の「腎臓が悪かったのですが、その付近は黒く焼けていましたか?」の質問には、とても答え辛そうに「はい、黒く墨のように。」…と。
その場に立ち会えなかったこともあり、実際にお話が伺えて何よりでした。
1つ良かったなと思えるのは、これから秋になり、閉ざされた冬へと向かう時期ではなく、次々に木々が芽吹き、花が咲く良い季節であるということ。
そんなお山の変化を眺めながら、移り行く季節を楽しみながら、毎回参拝しています。


自分の頭から消えて行かないうちにと、時間を見つけては、オリオンの最期の様子をブログに書き込む作業をしていました。それに没頭できたお陰で、まだオリオンと一緒にいるような気持ちもあったかも知れません。

この7日間、全く手付かずのままだったオリオンがいた場所周辺と、使うために多めに買い、仕舞ったままだった品を、少しずつ片付け始めました。
思った以上にオリオンの所有物は少なく、そんな作業もあっという間。
「あった方が自分の気持ちが楽になるのか?」「無いほうが気持ちが楽なのか?」と散々悩み、最後の最後まで、主のいなくなったハウスと、係留ロープが外せないままでしたが、数日後には、全て綺麗さっぱりと片付けてしまいました。
やはり、そのあとのガランとした空間を見ると、切なく、寂しいものがありましたが。

そんな頃、同じように今年になって愛犬を亡くされた方と、メールで少しお話する機会がありました。
「少し気持ちの整理はつきましたか?私は、なかなか…。」そう仰るメールに
「ブログに気持ちを預けたお陰で、随分楽になった気がします。」と答えた私。
確かにその時はそんな風に感じ、ブログに書き込むという作業が、一種「写経」のような意味を持つ作業だったのでは?と錯覚していました。

3月に訪れ、心を残したままだった宝登山神社の奥宮へと参拝し、そこで完全に現実を受け止めてしまったようです。
こどもの日だった5日には、この春、1人で引越し作業を終えた東京の息子のところへと行きますが、その朝、着替えた私の服に、オリオンの毛が1本付いていました。
車酔いをする子だったので、県内でも近い場所しか連れて行った事がなく、こんな身になって初めて、息子の住む東京見物ができるだろうと、私もそのまま付けて家を出ました。
しかし、再び家にいる時間が多くなると、ふとした瞬間に急に思い出し、涙が止まらなくなってしまうことも増えました。そんな時に限って、目の前に1本、オリオンの毛が落ちていたりするのです。
外犬だった子なのに、家の中で。

最初のうちは、オリオンのいるお山方向を眺めながら買い物から帰り、家の角まで来ると、「オリオンはもういないんだから、いつものように、待っていてくれると思っちゃダメ。」と、そんな風に自分に言い聞かせてから曲がったものでした。
しかし、次第にそんな事はしなくても、家にオリオンがいなくなったことが当たり前に感じて来た頃になり、ふと思い出してしまう事の方が、より寂しさが強いのだと、数週間前にお友達からいただいたメールの意味が、ようやくこの時期に実感となり、自分の身にもやって来たようでした。
不思議と、オリオンが居なくなってからはお天気な日が続き、こちら地方では珍しく、そこまでで雨が降った日は、ほんの数日でした。
オリオン、雨の日が嫌いだったもんね。
雨の日は、オリオンの残した香りを強く感じます。

…ところが、予報は悪くないはずなのに早い時間帯から雨が降り出し、驚いて洗濯物を取り込んだのが、先週土曜日でした。
実はこの日、午後からちび子の授業参観や初のPTA総会があったため、日課にしていた週末の参拝に行っていなかったのです。

同じく、予報は悪くないはずなのに、日曜日の朝もど~んよりとした空模様。
「待っているのかもね…。」と、ちび子が部活に行って暫くした頃、家を出てお山に向かうと、参拝が済んだ頃にはお天気が回復して来ていました。
オリオンがいなくなって、まだ1ヶ月。そのたった1ヶ月が、途轍もなく遠く、長い時間に感じます。
そして、オリオンの存在が、共に積み重ねて来た日々が、私にとってどれだけ大きかったのか、どれだけ多くの経験を生み出してくれたのか、今頃になって気づかされます。
部活が忙しくなり、ちび子も、仕事組みと同じ時刻にしか帰宅しなくなりました。
意志が弱いので、一人でも続けようと思った散歩にも行かず、日々出不精な引き篭もり生活です。
そんな中、ちび子が生まれる前、まだオリオンも我が家に縁の無かった頃、自分がどんな風に上の子たちと生活していたのか、ちょっとだけ思い出した日がありました。
この先、自分の心境にどんな変化が生まれるのか?それはまだ、自分自身にも分かりません。
ただ、頑なに決め付けることはせず、自然のままに身を置き、自然の流れに任せてみようと思います。
今日もこれから、オリオンのお参りに行って来ます。_〆(・ω・o)
今日は、オリオンが旅立ってしまってから初めてになる「月命日」です。

あれから1ヶ月。毎週末になるとオリオンの眠るお山へと登り、オリオンのいる納骨堂はもとより、お寺さんの本堂周辺各地をお参りしてまわり、「そうでもしないと歩かないでしょ。」と言ってくれる旦那と、史跡など巡りながら、(オリオンも一緒に?)お山散策をして戻ることが常となりました。
お寺に通ううち、オリオンのお骨上げをして下さった方にお会いすることがあり、骨の状態について尋ねてみた日がありました。
「オリオンちゃん、首が丈夫だったのでしょうか?喉仏が、本当に仏様のかたちになって、しっかりと残っていました。」と、とても驚かれていました。
反面、私の「腎臓が悪かったのですが、その付近は黒く焼けていましたか?」の質問には、とても答え辛そうに「はい、黒く墨のように。」…と。
その場に立ち会えなかったこともあり、実際にお話が伺えて何よりでした。
1つ良かったなと思えるのは、これから秋になり、閉ざされた冬へと向かう時期ではなく、次々に木々が芽吹き、花が咲く良い季節であるということ。
そんなお山の変化を眺めながら、移り行く季節を楽しみながら、毎回参拝しています。

1週目
毎朝、決まって午前3時に目が覚め、そこから全く眠れない日々が続きました。
自分の頭から消えて行かないうちにと、時間を見つけては、オリオンの最期の様子をブログに書き込む作業をしていました。それに没頭できたお陰で、まだオリオンと一緒にいるような気持ちもあったかも知れません。
お寺の境地に、私の大好きなシャガが咲き始めていた2週目
午前3時に目覚めていたのが、なんとか 午前5時までは眠れるようになりました。
この7日間、全く手付かずのままだったオリオンがいた場所周辺と、使うために多めに買い、仕舞ったままだった品を、少しずつ片付け始めました。
思った以上にオリオンの所有物は少なく、そんな作業もあっという間。
「あった方が自分の気持ちが楽になるのか?」「無いほうが気持ちが楽なのか?」と散々悩み、最後の最後まで、主のいなくなったハウスと、係留ロープが外せないままでしたが、数日後には、全て綺麗さっぱりと片付けてしまいました。
やはり、そのあとのガランとした空間を見ると、切なく、寂しいものがありましたが。

そんな頃、同じように今年になって愛犬を亡くされた方と、メールで少しお話する機会がありました。
「少し気持ちの整理はつきましたか?私は、なかなか…。」そう仰るメールに
「ブログに気持ちを預けたお陰で、随分楽になった気がします。」と答えた私。
確かにその時はそんな風に感じ、ブログに書き込むという作業が、一種「写経」のような意味を持つ作業だったのでは?と錯覚していました。
GWの真っ最中になった3週目
家から離れる時間が多いので、少しオリオンのことも頭から離れるのではと思いましたが、実際のところは全く逆でした。
3月に訪れ、心を残したままだった宝登山神社の奥宮へと参拝し、そこで完全に現実を受け止めてしまったようです。
こどもの日だった5日には、この春、1人で引越し作業を終えた東京の息子のところへと行きますが、その朝、着替えた私の服に、オリオンの毛が1本付いていました。
車酔いをする子だったので、県内でも近い場所しか連れて行った事がなく、こんな身になって初めて、息子の住む東京見物ができるだろうと、私もそのまま付けて家を出ました。
そして4週目
疲れもあって、以前同様に良く眠れるようにはなりました。しかし、再び家にいる時間が多くなると、ふとした瞬間に急に思い出し、涙が止まらなくなってしまうことも増えました。そんな時に限って、目の前に1本、オリオンの毛が落ちていたりするのです。
外犬だった子なのに、家の中で。

最初のうちは、オリオンのいるお山方向を眺めながら買い物から帰り、家の角まで来ると、「オリオンはもういないんだから、いつものように、待っていてくれると思っちゃダメ。」と、そんな風に自分に言い聞かせてから曲がったものでした。
しかし、次第にそんな事はしなくても、家にオリオンがいなくなったことが当たり前に感じて来た頃になり、ふと思い出してしまう事の方が、より寂しさが強いのだと、数週間前にお友達からいただいたメールの意味が、ようやくこの時期に実感となり、自分の身にもやって来たようでした。
不思議と、オリオンが居なくなってからはお天気な日が続き、こちら地方では珍しく、そこまでで雨が降った日は、ほんの数日でした。
オリオン、雨の日が嫌いだったもんね。
雨の日は、オリオンの残した香りを強く感じます。

…ところが、予報は悪くないはずなのに早い時間帯から雨が降り出し、驚いて洗濯物を取り込んだのが、先週土曜日でした。
実はこの日、午後からちび子の授業参観や初のPTA総会があったため、日課にしていた週末の参拝に行っていなかったのです。

同じく、予報は悪くないはずなのに、日曜日の朝もど~んよりとした空模様。
「待っているのかもね…。」と、ちび子が部活に行って暫くした頃、家を出てお山に向かうと、参拝が済んだ頃にはお天気が回復して来ていました。
その日、お山から眺める我が家方面の様子


オリオンがいなくなって、まだ1ヶ月。そのたった1ヶ月が、途轍もなく遠く、長い時間に感じます。
そして、オリオンの存在が、共に積み重ねて来た日々が、私にとってどれだけ大きかったのか、どれだけ多くの経験を生み出してくれたのか、今頃になって気づかされます。
部活が忙しくなり、ちび子も、仕事組みと同じ時刻にしか帰宅しなくなりました。
意志が弱いので、一人でも続けようと思った散歩にも行かず、日々出不精な引き篭もり生活です。
そんな中、ちび子が生まれる前、まだオリオンも我が家に縁の無かった頃、自分がどんな風に上の子たちと生活していたのか、ちょっとだけ思い出した日がありました。
この先、自分の心境にどんな変化が生まれるのか?それはまだ、自分自身にも分かりません。
ただ、頑なに決め付けることはせず、自然のままに身を置き、自然の流れに任せてみようと思います。
今日もこれから、オリオンのお参りに行って来ます。_〆(・ω・o)
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