榛名神社詣・前編|群馬
2015年05月24日
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高根展望台より
伊香保グリーン牧場を出発し、25~6年ぶりに見る伊香保の街を抜け、国道33号は次第に山道へと。日光の「いろは坂」を彷彿とさせるような、カーブごとに番号のついたヘアピンカーブの山道を上って行くと、23番カーブにあるとても見晴らしの良いこの場所は高根展望台。展望台には展望デッキが設置され、伊香保の街並みや、遠くの山々が望めます。
標高1,029mからの眺め。ここからの夜景も綺麗でしょうね。

今、通過して来た伊香保の街がこんな風に!

まだ雪の残る谷川岳方面



そして、山道を下り、道は再び平地へと。榛名湖近くで、群馬県では多く設置されていると有名な、「メロディライン」の1つに遭遇します。その中でも、今回通過した「榛名湖メロディライン」は、某CMに起用されたことでも有名な場所。適正速度で走行すると、『静かな湖畔』のメロディが聞こえ、初体験だった我が家は、2度、3度と通ってみたくなりました。
榛名神社
これまた25~6年ぶりに見る榛名湖を過ぎ、大混雑の道をゆっくり、ゆっくりと進んでようやく到着したのは、パワースポットとしても有名な「榛名神社」。
榛名神社は、すでに千四百年以上を経た古社。一説によると、饒速日命、可美真手命が、榛名山中に神籬を設け、天神地祇を祀ったのが起源といいます。
第31代・用明天皇(585~587年)の時代に創建され、その名は927年に完成した『延喜式神名帳』という全国の主要な神社の名を書き記した記録の中に「上野十二社」の一つとして載っています。
戦国時代に一時衰退しますが、江戸期に入り、天海僧正により復興され、慶長19年(1614年)「上野国天台宗榛名山巌殿寺法度之事」が出され、以降、寛永寺の支配下に置かれて、再び人々の厚い信仰を取り戻します。
明治期の神仏分離令により「榛名神社」となりました。
主祭神は「火の神」「土の神」で、古来より鎮火、開運、五穀豊穣、商売繁盛のご利益があるといわれています。
雨乞いの神社として、また、修験者の霊場として、古くから榛名山信仰の参拝者を集めてきた場所です。
随神門に太々御神楽の額

随神門|国指定重文

随神門は榛名神社境内に入り二ノ鳥居を潜った正面に、弘化4年(1847年)に再建された八脚門です。神仏習合時代には運慶作と伝えられる仁王像が置かれた仁王門でしたが、神仏分離令により仁王像は焼かれ、現在は明治39年(1907年)に随神像が祀られ「随神門」と呼ばれています。
随神門から本殿まで続く700mの参道は、左手には岩壁と渓谷が続き、右手には榛名川の清流のせせらぎが聞こえる、癒しの空間です。

みそぎ橋を渡ると、榛名川の対岸に岩が橋のようにアーチ状を成している「鞍掛岩」という奇岩が見えて来ます。元々は洞穴状だったものが奥の部分が落ち、このような形状になったとのことです。

樹齢100年~400年の杉が千本余り。榛名川に沿うように参道が続きます。

参道左手杉の合間から、岩山がそびえる様子が垣間見えます。
最初に出会うのが夕日岳(風天岳)、そしてその奥が朝日岳(雷天岳)です。朝日岳の中腹には、宝珠洞という洞窟があるそうです。

縁結びスポットでもあるという水神楽。地中の甕に落ちる水音を楽しむ「水琴窟」のことです。2人同時に聴ける竹筒があり、恋人同士で聴くと良縁になるとか。また、引いたおみくじをこの御神水に浸すと、文字が出て来るのだそうです。
三重塔(神宝殿)
市指定重文|神仏習合時代の名残りを留める建造物です。
現存する塔は明治2年(1869年)再建のもので、群馬県内では唯一だそうで、高崎市の重要文化財に指定されています。
現在では「神宝殿」と呼ばれ、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)をはじめとする五柱の天神が祀られています。
付近に見られる玉垣は、上毛カルタにも出て来るという、塩原太助が奉納したもの。江戸時代に炭事業で成功した塩原太助は、榛名神社参拝でご利益があったことから、報恩のためにこの玉垣と石灯籠を奉納しているそうです。

御廰宣の碑
「留守所下文」という、榛名神社で最も古い文書を彫った石碑です。
建久元年(1190年)時の政府から上野国司に下された健児(こんでい)、検非(けんぴ)両使の権力行使を停止する旨を認めたという文章です。碑面には、文章の虫食い穴まで忠実に彫られているそうです。
落石防護屋根の設けられた参道を通ります。
その途中にある塞神社。他界より侵入して災厄をもたらす邪神、悪魔等を防ぎ止め、追い返すことを掌どる道祖神のことです。

薄暗いトンネル状の参道の先に神橋が架かります。

行者渓
神橋の左手手奥は深い峡谷になっていて、かつて修験者が修行をした渓谷地です。修験道の創始者である役小角が、ここで修行を行ったと言われているそうです。
また行者渓は、歌川広重の「六十余州名所版画絵図」の中に「上野国榛名山雪中」として選ばれ、描かれた場所です。
東面堂

岩にはめ込まれた扉は、東面堂という建物の名残りです。須弥檀の奥に秘仏、千手観音を安置したところにはめ込まれたものと考えられるものだそうです。ここは上野34所の21番札所でした。歌川広重の「上野国榛名山雪中」には、この東面堂をはじめ、懺悔橋、萬年泉前辺りにあった境内茶屋なども描かれています。
萬年泉|市指定重文
一年中涸れることが無いの意味で、雨乞いの神様です。そのことから、この水は雨乞いの御神水として信仰されているといいます。雨乞い祈願後、柵内の御神水を竹筒に受けて帰村したそうです。

御神水左上にある、元文四年(1739年)六月「萬年泉」の石碑は、宗の崔君謨の書。裏面には長崎の平君舒の撰文銘もあります。

瓶子の滝
瓶子とは、神に供える神酒を入れるための錫製の器のことで「みすず」と読みます。滝の両脇の岩を瓶子に見立て「瓶子岩」と呼んでいたことから、滝も「瓶子の滝」と呼ばれるようになったといいます。

萬年泉の上段にある「御水屋」
この水も、瓶子の滝と同じ榛名山麓系の天然水で、萬年泉の水と共に、古くから御神水として多くの人に使用されています。
矢立杉|国指定天然記念物
高さ55m、目通り9.4m、樹齢約600年
矢立とは武将たちが戦勝を祈願するために境内の木に矢を射立てる儀式のこと。
武田信玄が箕輪城攻略の際、戦勝祈願のため矢を立てたという言い伝えがある杉の巨木です。
神幸殿|国指定重文

矢立スギから石段を登った左側に、色彩の施されていない、白木のままの質素な建物が神幸(みゆき)殿。安政6年(1859年)の建立。毎年、春の大祭時(5月8日~15日)、榛名神社の御神体が本殿より神輿に移され遷座され、その期間だけ開かれて参拝できるそうです。
さて、ここからいよいよ榛名神社の核心部分になりますが、記事が長くなりますので、ここで一旦UPします。
後半につづく。
Sunday, May 3, 2015_〆(・ω・o)
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