百箇日
2015年07月24日
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Orionが旅立って100日
昨日23日は二十四節気の「大暑」、そして今日24日は夏の「土用丑の日」。それと同じくし、今日はOrionの死後百日目にあたる「卒哭忌」です。「哭」は声をあげて泣きさけぶ、「卒」は終わるという意味。また1つ、心に区切りをつけましょうという節目の日です。

あれ以来本当に飽きもせず、毎週末になるとお参りに行ったお山のお寺。枝垂桜が満開だった境内も、すっかり季節が移り変わり、咲く花も、虫の音も、それだけの日々が経過したことを物語っているようです。


Orionの遺影に使っている写真は、亡くなる1週間ほど前に撮ったものです。
ずっと気になっていたのですが、この時の写真、決してカメラ目線ではなく、ちょっと上方の違う場所を見ているのです。

Dawn太との散歩で同じ場所へ行き、Orionと同じくらいの目線になって屈み、何を見ていたのだろう?と確認してみた日がありました。
てっきり、対岸の公園に5分咲きになった桜の花を見ているのだと思っていたのは私の勘違いで、実際はさらに桜の木の上、西の空を見ていたことがわかりました。
「西方極楽浄土」
今、そんな世界に辿りついていてくれたら何よりだと思っています。

Orionが繋いでくれたDawn太との縁
お寺のご本堂の隣には、縁結びのお堂があります。毎週お参りに行くようになり、同じ境内にあって素通りも失礼なので、一緒に縁結びのお堂にもお参りするようになり、程なくしてDawn太との縁が繋がりました。なので、これはOrionが引き合わせてくれた縁だとも思っています。

Dawn太が来てしばらくし、Orionの定位置だった軒先に係留した日のこと。普段、殆ど声を出さないDawn太が、置かれていたバリケンの入り口斜め45度の角度から「ワン、ワン」と、はっきりと吠えたことがありました。もちろん、周辺には虫1匹いません。
「Orion、そこにいるの?」
おもちゃや手入れ道具など、Orionが使っていて捨てられなかったものは、Dawn太が今、そのまま使っています。
新しくおもちゃを購入したのは、ブタさんとぬいぐるみ1つくらい。
「使わせてもらうね!」と、必ず声に出してからDawn太のために使っていたのですが、自分が一番落ち着ける場所だったバリケンの中から、Dawn太に教育的指導を送っていたのかも知れないと、勝手に思った日でした。
どうしてOrionが、私たちの元に自分の後継者、Dawn太を送り込んだのか?
それは、自分を忘れて欲しくなかったのでは!?今になると、そんな風にも思います。
私たち家族にとって、ボーダー育てのお手本は、全てOrionにあるわけです。同じ月齢の頃、Orionもこんな風だったけど、もう少ししたらそんな問題もなくなっていたな…。そう思うだけで、安心できる部分もあるのです。
自分の死を嘆き、悲しく、切なさだけで涙する日々を送るのではなく、Dawn太を育てていく中で、同じようにやんちゃな時代を経て育って行った自分のことを思い出してくれることを、家族思いだったOrionは願ったからなのではと。
軒先に出すと、一時期「穴掘り」がマイブームだったDawn太。当然、Orionが係留されていた時、トイレにしていた砂場もホリホリ…。その時、砂場とその境になっているコンクリートの間から、Orionの忘れ形見が出てきたことがありました。不思議なことに、そんな場所に、Orionの狼爪の表皮が、かたちのまま残されていたのです。
拾った爪の表皮は、大切に乳歯入れの中に納めましたが、これもDawn太の悪戯無くしては発見できなかったこと。
OrionとDawn太は、全く違う個性であり、命であり。しかし、Dawn太の向こう側には、いつもOrionとの思い出が見え隠れしています。
そんなDawn太も生後5ヶ月に入り、心身共に充実の時を迎えています。Dawn太の成長を見ても、Orionと別れてからの時間の経過を実感するわけです。
おしまいに
確かに、時間薬のお陰で、七七日忌までのように、大声で泣くということは無くなったと思います。けれど長年手に覚えたぬくもりは忘れがたく、人一倍大きなあのまぁるい頭を、無性にグリグリと撫でたいと思う、今日この頃。
毎朝、祭壇に向かって手を合わせる時、つぶやく言葉は、今でも「ありがとう」。
Orionが家族を見守ってくれている間は、毎週、お山にお参りに行き続けます。
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