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諏訪高島城址|信州諏訪

2016年10月17日

城址巡り
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この日は蓑輪町で赤そばを愛で、そして赤そばを食し…。その後の予定は未定だったので、午後からはブラブラと諏訪湖見物をして帰ろうか!という話になりました。

諏訪湖にナビを入れて車を走らせていると、湖の手前でお城を発見!見事な天守閣も目に留まり、これは是非とも立ち寄らないと…と。

諏訪高島城址

高島城

諏訪高島城址

日本三大湖城のひとつ高島城は、天正18年(1590年)豊臣秀吉の家臣・日根野織部正高吉により、諏訪湖畔に築かれた城です。(文禄元年|1592年着工、慶長3年|1598年完成)諏訪湖と数条の河川が周囲を巡って濠の役目を成し、諏訪湖の水が城のすぐ際まで迫っていて、水を守りとする難攻不落の水城でした。湖上に浮いたように見えたことから、別名「諏訪の浮城」とも呼ばれました。

その後、関ヶ原の戦いで徳川軍に属した諏訪頼水(武田氏に滅ぼされた諏訪氏を復活させた諏訪頼忠の子)は、慶長6年(1601年)家康の恩恵によって旧領諏訪に帰って初代藩主となり、以後、十代藩主・忠礼に至る270年の間、高島藩三万石・諏訪氏の居城として、その威容を誇ってきました。しかし、時の廃藩置県により、明治4年(1871年)城郭の撤去が決定。明治8年(1875年)には天守閣の撤去が終了。明治9年(1876年)高島城址はが高島公園として一般に開放されます。
朝夕の「時の太鼓」が鳴らなくなって百年、諏訪市民からの要望もあり、昭和45年(1970年)5月に天守閣が復元され、同時に冠木門、角櫓なども復元されたほか、当時の石垣の一部も残るなど、今でも往時を偲ぶことができます。

高島公園散策

現在の高島城跡は本丸が残り、高島公園として整備されています。高島公園には、復元天守をはじめ、冠木橋、冠木門、川渡門、角櫓などが復元、移築されて往時を偲ばせます。

現地の案内図に、撮影場所など書き加えましたので、写真と合わせてご覧いただけたら幸いです。

高島公園案内図

城の西側に駐車場があったので、そこに駐車して、いざ公園内へ!
すぐ目の前にある、まるで埋門のような「公園入口」ですが、天守すぐ脇に出入り口があるわけが無く、往時は石垣の上に多門が上がっていたのだと思われます。

公園入口

本丸公園

門を潜って数段の階段を上がると、すぐ脇には昭和45年に復元された三層の天守と、その下(南側)には小天守台が残る姿が見られます。

諏訪高島城_天守

現在の本丸内部は、大きな藤棚と、「人」の字の形をした心字池などを中心に配した庭園になり、市民憩いの場となっています。藤棚は、本丸が公園として開放された当初(明治9年頃)に植えられたと伝わり、樹齢130年を誇り、市の天然記念物に指定されているものです。

諏訪高島城址

往時はここに天守のほか、城主の御殿や書院、政務をとる御用部屋、郡方。その他には能舞台、氷餅部屋などの建物が存在していました。(本丸絵図参照)

【多門跡】

諏訪高島城_多門跡

現在は塀がみられますが、当時の櫓同士の間には、防御のための長屋状の建物があり、多門櫓になっていたと思われます。(内部は武器庫、倉庫として使用)狭間もありました。口が小さいので銃撃戦用でしょうか。

【冠木門】

諏訪高島城_冠木門

冠木橋を渡った先に、武者溜りも印象的な、本丸正面であった冠木門があります。

諏訪高島城_冠木門

冠木門とは、左右に本の柱と梁だけの簡素な門の形式をいいますが、この門は櫓門であり、高階城を描いた絵図には楼門や高麗門と呼ばれる屋根付き門が描かれていたそうです。築城当初が質素な冠木門で、以後はその名だけが、この門に残されたようです。

【本丸石垣と濠】

高島城は、本丸、二之丸、三之丸の主郭をほぼ一直線上に連続配置した「連郭式」といわれる構造でした。衣之渡(えのど)川、中門川などの川を濠とし、諏訪湖と阿原(沼沢地)に囲まれ、縄手だけが城下町に通じていました。(縄手=長く真っ直ぐな一本道|現在も地名として残っています。)

諏訪高島城_本丸石垣と濠

本丸の石垣や水濠は、旧状を良く留めて見応えがあります。

諏訪高島城_本丸石垣と濠

天守閣石垣、本丸正面と東側の石垣は規模も大きいですが、西・南側の石垣は簡素なものでした。衣之渡郭、三之丸、二之丸などの石垣も比較的小規模でした。

諏訪高島城_本丸石垣と濠

築城当時の石垣は、自然石を加工せずに積み上げた野面積。稜線のところだけ加工した石を用いています。地盤が軟弱なので、沈下しないように、大木で組んだ筏の上に石垣を積んであります。天明6年の大補修時、その殆どが整備されましたが、現在も残された姿が見られる箇所があるので、是非探してみて下さい!

諏訪高島城_本丸石垣と濠

【角櫓とミヤマキハダ】

本丸には、角櫓、持方月櫓、富士見櫓の3つの櫓が建てられていました。そのうちの一つ、本丸正面に位置する角櫓が復元されています。
訪れたこの日、櫓内ではお茶会が催されていました。

角櫓の脇には、推定樹齢130~140年と伝わる「ミヤマキハダ」という樹木が植えてあり、市の天然記念物に指定されています。樹皮内側にある黄色い色素が健胃整腸薬になるそうで、漢方の世界では黄檗 (おうばく) の名でも有名です。樹は城があった時代、薬用として植えられていたものの名残りだといわれています。

諏訪高島城_角櫓とミヤマキハダ

残り2つの櫓に関しては、角櫓相当の跡地が残されているだけでした。

諏訪高島城址

本丸南西側

庭園より南側半分は、広場やステージ、神社などがあります。

諏訪高島城址

諏訪護国神社は、明治35年(1960年)に諏訪招魂社として設立されたもの。明治~昭和期の戦没者が祀られています。

諏訪高島城_諏訪護国神社

【西多門跡】

本丸正面はよく復元されていますが、住宅に隣接した西側になると、多門を表した塀も無く、土塁が残るのみ。
土塁上に、石碑などが点在していました。

【川渡門跡と三之丸御殿裏門】

諏訪高島城_川渡門跡と三之丸御殿裏門

本丸西側のこの場所は、御川渡御門(御川戸門)と呼ばれた門があったところです。水の要塞である高島城、かつては諏訪湖の波が城の石垣に迫っていたため、ここで湖の舟に乗ることが可能だったそうです。
現存している門は、当時の三之丸御殿裏門が移築されたものです。三之丸御殿は藩主の別邸で、冠婚葬祭その他の行事に使われたほか、藩主がくつろげる場所でもありました。昭和63年(1988年)門は当時の所有者から市に寄付され、ここに移築されました。

【石集配湯枡】

諏訪高島城_石集配湯枡

現在も諏訪湖畔で間欠泉が噴き出るとおり、高島城は城内に温泉があった珍しい城で、享和3年(1803年)第7代藩主・忠粛の頃、本丸の浴場に引湯のため、木樋を継ぎ、集湯、配湯をした石枡が残っています。

【覗石松と亀石】

諏訪高島城_覗石松と亀石

城内の庭園にあった亀石ですが、廃藩になった明治8年の時に城外に移され、以後所有者を転々と引き継がれながら、実に132年ぶりになる平成19年、再び高島城公園に戻った由緒あるものです。水をかけると、まるで亀が生きているかのようになり、願いが叶うと伝わります。

資料館となっている復元天守

明治維新に際し、全ての建物が破却された天守閣も、昭和45年に復元されています。当時の天守は屋根に瓦ではなく、薄い木片を重ねて敷き詰めた「柿葺(こけらぶき)」という珍しいものでした。(現在は銅板葺きになっています。)先にも述べたように、土地の地盤が軟弱なためと、良質な寒天が生産される土地ならではの、乾燥し寒冷な諏訪の気候に耐えられる瓦が、調達不可能だったためと言われています。

現在の天守閣内は資料館となり、高島城の歴史を学べる場となっています。
展示物の撮影は禁止になっていますが、最上階である3階からは諏訪盆地が一望でき、城主気分が味わえます。

諏訪高島城_復元天守

西側を望むと、諏訪湖が近いことに驚きます。現在は距離にして1Km程度離れていると思われますが、当時はすぐ際までが湖だったわけで、対岸からみれば、まさに湖面に浮かぶ城であったわけです。諏訪湖を囲むように、点々と城々が配置された様子も、館内の説明にありました。

諏訪高島城址

冠木橋が望めるこの北側に、二之丸、三之丸が続いて「連郭式」といわれる構造を成していました。

諏訪高島城址

富士見櫓が置かれた場所からは、文字通り富士山が望めたようです。この日は霞んで見えず…。ここまで来ちゃうと、山梨は思う以上に近いのかも。

諏訪高島城址

おしまいに

園内の広場で、ノーリードのミニチュアダックスさんに出会いました。良く躾られていて、飼い主さんも犬のことをよくご存じの方でした。

諏訪高島城址

喉が渇いたDawn太のため、ちび子がトイレから水を汲んで来てくれたのですが、汲んだ水が白く濁っていてビックリ!

諏訪高島城址

何か雰囲気を感じ取ったのでしょう、ワンコと一緒にいた女の子がすかさず、「いつもそうなんだよ、時間が経つと透明になるよ。諏訪の水はそうなの!」と教えてくれました。(聡明なお嬢さんでした!)

来る途中の車内で、諏訪に良い水は無いのかな!?という会話もしていたのですが、「これは、名水探索にも行かねば!」と思った瞬間でした。

諏訪高島城

旅先で可愛いワンコに出会い、楽しそうなDawn太を見ていて舞い上がった飼い主は、本丸搦手である土戸門跡の見学がすっかり飛んでしまいました。
門扉など無く、門跡に石積みが残るだけのようでした。

登城日:2016年10月2日(日)Dawn太 1歳7ヵ月|生後587日
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そふぃあ
Posted by そふぃあ
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